「AI歩行診断の客観性」VS「個別丁寧な心の通った診療態勢」を問う【獣医師記者コラム・競馬は科学だ】
◇獣医師記者・若原隆宏の「競馬は科学だ」 米国・ブリーダーズCはJRA勢19頭が遠征し、未勝利に終わった。特に残念だったのはディスタフにおけるオーサムリザルトの取り消しだ。競走当日の獣医師による歩様検査で出走許可が下りなかった。同馬にはその後、特段の異常は見つかっていない。 米国やオーストラリアでは、動物愛護団体などの外圧に屈する形で、出走時の故障リスク評価が過敏になっている。5日のオーストラリア・メルボルンCでも、無敗のセントレジャー勝ち馬ヤンブリューゲルが入国後CT検査でスクラッチを食らった。 各種検査は獣医師が行うが、歩様検査は機械化が進んでいる。具体的には常歩やダクの動画をAIが判定することが多い。AIは、肉眼では分からないレベルの微妙な腰や肩の動きの左右不均衡まで見逃さず、摘発する。素人目には、機械化が進むことは、客観性が強く担保されると思われるかもしれない。だからこそ、動物愛護団体にも、一定の説得力を持つのだろう。 一方で、診断すべきである相手は個別の馬であるという重要な事実は置き去りにされる。人によって生まれ育ちの環境は千差万別。幼少期の既往もそれぞれであるのと同じように、競走馬だって個別にさまざまな既往を克服してきている。”かかりつけ”の獣医師が書き連ねてきたカルテがぴったり一致している馬など、一組たりとも存在しない。 JRAでも、新馬や、一定期間の休み明けで出走する馬は、東西トレセン診療所の獣医師が常歩やダクをじかに見る「出走診断」を受ける。そこにAIを導入することには、JRAは目下、否定的な姿勢だ。内厩制の利点でもあるが、所属全馬のカルテをJRAとして自ら持っているからだ。個別の馬の事情を把握しているからこそ、各馬によりそった、丁寧な、オーダーメードの判断が可能になる。冷たい機械の返す答えより、血の通った人の、心の伴った理性に重きを置く。 海外遠征馬が(その馬の背景を深くは知らない)当地の獣医師の診断でスクラッチされるのは、そうした丁寧な診療態勢を取れないことの裏返しだ。誤解を恐れず言ってしまえば、数をこなしつつ「客観性」を主張するために設計された、物量態勢の犠牲だ。 外向けに建前を立てること、あるいは建前を用意させる外圧と、個別丁寧に馬を診る診療態勢。どちらが真に”動物愛護”にかなうのか。答えはおのずから明らかではないかと思う。
中日スポーツ