1億円の大金であろうが「お金は墓場まで持っていく」【ミニマリスト・なにおれ氏の助言】
「お金は墓場まで持っていけない」……貯金ばかりしている人を揶揄する際にたびたび使われる言葉です。確かに死んでしまったらお金を使うことはできません。しかし、大人気ブロガー・なにおれ氏は「お金は墓場まで持っていけばいい」といいます。一体なぜでしょうか? 本記事では、同氏の著書『31歳、夫婦2人、月13万円で、自分らしく暮らす。 僕たちが見つけた質素で最強の生き方』(大和出版)より一部抜粋・再編集し、貯金に対する考え方について解説します。 【早見表】年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額
お金を持っている間は…
「お金は墓場まで持っていけないから、貯めてばかりでは意味がない」という意見を見聞きすることがあります。 僕なりの結論を先にいってしまえば、お金は墓場まで持っていけばいいと思っています。たとえそれが1億円だろうが、2億円だろうが同じです。 理由はシンプルで、お金を持っている間はずっと選択肢を持ち続ける状態になるからです。そして、その状態こそが、自分らしい生き方を選択できる豊かな状態だと思うからです。 「貯める」ことで得られる豊かさ お金は墓場まで持っていけないというのは事実です。お金は使わなければただの金属や紙、預金通帳に印字された数字にすぎません。お墓の中に1億円の現金を入れてもらっても使う場所がありません。そのため、お金は貯めても意味がないという意見は理にかなっています。 ただ、お金を貯めることに意味がないからといって、お金を使うことには大層な意味があるかといえば、それも疑問が残ります。 たとえば、より少ないお金で楽しく暮らせるように努力した結果、月10万円で楽しく暮らせるようになっていたとしましょう。それなのに、お金を貯める意味がないからといって、月20万円を使う必要があるでしょうか。僕にはむしろ、無理にお金を使おうとすることのほうが意味がないと思えます。というより、無理に生活コストを上げることの代償のほうが大きいと思っています。 生活にお金をかければかけるほど選べる仕事が減り、それはつまり、生きづらさになってしまうからです。 また、お金は墓場まで持っていけないからといって、死ぬと想定している年齢まで貯金を取り崩して生活費に充てたとしましょう。ですが、寿命は誰にもわかりません。もしかしたらあと何年も生きることになるのに、貯金がただ減っていくのを眺めることは、また別の苦痛を生むのではないでしょうか。 だからこそ、お金を使わなくても楽しく暮らせるように努力し、それでお金が余るのなら、実現したい理想の生き方を選択できるように増やし続ける。それでいいと思っています。 お金が選択肢である以上、使うことだけが豊かな生き方にはならないと思います。使わずに大切に残しておくこともまた、豊かな生き方になるのではないでしょうか。 世の中は、1+1が2になるほど単純ではありません。理にかなっているから必ずしも幸せだなんてこともないと思います。「死んでしまったらお金は使えないから最初から貯める必要がない」もしくは、「死んでしまったらお金は使えないから使い切ったほうがいい」という合理性もまた、僕たちにかけられた呪いのひとつだと思います。 なにおれ ブロガー