フジロックから衝撃……17回目の「北のロックの祭典」RSR誕生の裏側
今年もこの季節が近づいてきました。1999年から開催されている真夏のロックの祭典「RISING SUN ROCK FESTIVAL in EZO」(以下RSR)。北海道の石狩平野という大地に、たった2日間だけの「ロックの聖地」が生まれるのが、8月中旬の金曜日と土曜日。この時ばかりは、オールナイトで音楽を楽しみ、日の出を皆で迎えることが許されるのです。17回目を迎える今年は、8月14日(金)、15日(土)に開かれます。 【写真】北のロック祭典「ライジングサン」 見ないと損する6ポイント
場所選びに奔走……1999年に立ち上げ
そのRSRを主催しているのが、北海道における音楽プロモーションの雄WESS。中でも、同社常務取締役の若林良三さんは、RSRの立ち上げから関わってきた人物の一人です。 「1997年にフジロックフェスティバルが開催されて、物凄く衝撃を受けたんですよ。それまで、数万人規模のコンサートでも、席はブロックで指定されていてその場所から動くことはできませんでした。それがすべて自由になったイベントを日本でやるなんて……カルチャーショックでしたね。世界で続いているフェスっていうのは、こういうものなんだろうなって。そこで、向こう(フジロック)は洋楽中心ですが、邦楽でライブを中心に頑張っているアーティストを集めたフェスができないかと思って、2年後の1999年に立ち上げたのがRSRです」 今でこそ当たり前のように、石狩平野(正しくは「石狩湾新港樽川埠頭横野外特設ステージ」)に2日間だけの聖地が完成するように思われていますが、立ち上げの際は苦労がありました。オールナイトで音楽を演奏し、朝日を迎えるためには、周囲に迷惑をかけるわけにはいきません。そこで、若林さん他スタッフは、候補地に本番と同じような音響機材を組み上げてチェックをしたそうです。 「某場所で行ったチェックでは、第一音目で周囲の施設から『やめてください!』って言われましたね(笑)。でも、僕らはお客さんにも自分の責任の上で最大限音楽を楽しんでもらいたいので、そのための場所を提供しなければならないし、その使命を伝えていかないといけないと思っています。だからこそ、場所選びは大事でした」