『虎に翼』複数人脚本制ではなく吉田恵里香だからこそ描けるもの いま向き合う“戦争”の傷
朝ドラことNHK連続テレビ小説『虎に翼』の第17週「女の情に蛇が住む?」で描かれたのは「依存」と「共生」のバランス、それからまだ癒えない戦争の傷であった。 【写真】涙を誘った玉(羽瀬川なぎ)と涼子(桜井ユキ)の抱擁 航一(岡田将生)に案内され、寅子(伊藤沙莉)が出かけたハヤシライスの美味しい店・ライトハウスは、涼子(桜井ユキ)と玉(羽瀬川なぎ)が切り盛りしていた。なんと数奇な運命であろうか。 戦後、貴族制度が廃止されたため、涼子は平民となった。新潟の別荘を売ったお金で店を開き、戦争で負傷し車椅子生活を余儀なくされた玉を労りながら慎ましく生きていた。でも玉は、自分が足手まといになっているのではないかと気に病んで寅子に相談する。 この問題は、玉と涼子ふたりが腹を割って話し、解決すべきと考えた寅子は、その場を設ける。結果的に、玉と涼子はお互いなくてはならない存在――bosom friendとして認識を強固にした。 お嬢様と使用人だったふたりが、使用人が怪我したことによって、お嬢様が使用人のお世話をするという逆転は、ひじょうに麗しい共生関係としてまとめることも可能である。だが、この関係性の反転は、身分制度の転倒のようでもあり、どこか奇妙な印象を残す。これが理想的な共生のみならず、ともすれば歪な依存関係になりかねないと、寅子が懸念を感じるように描くのは、寅子が裁判官であるからこそ成立するのだろう。 この人しかいないと特別な感情を持ち過ぎると関係性が歪んでしまうと、寅子はひじょうに客観的に考え、その危惧を回避するには「拠り所」を増やすことだという思いに至る。そして彼女がやったことは、ライトハウスに稲(田中真弓)を送り込むことだった。稲もまた、地元・新潟に戻ったものの、すでに家族も知人もいなくて、ひとりの日々を持て余していた。たまたま頼まれた優未(竹澤咲子)の世話に拠り所を見出したわけだが、稲にはほかにも拠り所があったほうが健全だと寅子は考えたのであろう。 家や職場のほかにサードプレイスを持つ、あるいは副業を行う、または二拠点生活をするなど、いくつかの選択肢を用意する生き方が、令和の時代では浸透してきている。『虎に翼』が戦中戦後を舞台にしながら、現代に生きる視聴者が身近に感じられる問題を盛り込んでいるのはいまにはじまったことではないが、こうして観ていると、時代が変わっても、同じような問題が繰り返されているのだなとつくづく感じる。 優未は学校に友人がいないが、無理に友達を作る必要性も感じていなかったり、若い書記官・高瀬(望月歩)が職場でつるむことを好まなかったりすること。また、玉が英語を教えている高校生たちは、ひじょうに裕福で家柄もいいけれど、どこか不満を感じていて、それがもとで犯罪が起こるという、貧しい者だけが犯罪を起こすわけではない世相なども、時代が変わっても起こり得る問題である。 地域の名士・森口(俵木藤汰)の娘・美佐江(片岡凜)が、寅子に「特別」の印として送ったビーズの腕飾りと同じものを、事件の当事者の少年がしていたという展開は少年少女の闇のようなものを感じてひやりとなった。上品で聡明な娘だが、仲間を「特別」と操って悪事を働いてガス抜きをしているという問題を、寅子はどう捉え、解決策を見い出すのだろうか。 これもまた、「依存」と「共生」の関係であり、もしかしたら「戦争」の傷とも関係があるのかもしれない。 地域との「持ちつ持たれつ」をしきりに強調していた弁護士・杉田太郎(高橋克実)の開催する麻雀大会も「持ちつ持たれつ」の一貫であろう。仕事関係者で麻雀をして交流を深めることは、飲み会やゴルフなども同じである。寅子も親睦を深めるために麻雀をやってみようと考える。 航一は麻雀が好きで、寅子を杉田主催の麻雀大会の見学に行こうと誘う。これまで、いっさい、優未を連れ出さなかった寅子が珍しく優未を伴って麻雀大会に訪れると、太郎は優未に空襲で亡くなった孫を重ねたらしく激しく泣き崩れる。弟・次郎(田口浩正)によれば、娘と孫を空襲で亡くし、最近、妻も亡くなって、仕事に没頭していたという。太郎の過剰な「持ちつ持たれつ」の強要も、仕事しか「拠り所」がなかったゆえなのだろうかと想像させた。彼にももっとたくさんの「拠り所」があれば、偏った仕事をしないのかもしれない。 そして、そんな太郎の悲しみを見て、「ごめんなさい」と抱きしめる航一は何を抱えているのか。寅子が問いかけても航一は答えない。 航一の言った「死を受け入れられない」が、寅子にも太郎にも思い当たるふしがあり、航一自身が最もそうであるのではないかと想像を膨らませながら、第17週は終わっていく。新潟編はどこに向かっているのか、予想がつかず、そこがおもしろさである。 寅子の成長、娘や航一との関係、離れ離れになった学友たちとのその後、戦後の傷、犯罪の温床となりかねない人間の関係性などをぎゅぎゅっと詰め込んで、ひとつの物語にする作家の器用さを感じる。これだけ引き出しがあると、重宝されるだろう。 長丁場の朝ドラの脚本執筆はどこかで疲れが出るもので、だからときには、複数脚本家体制になることがある。『舞いあがれ!』は航空学校編の専門性が高い部分を、『ブギウギ』では戦中のシリアスなエピソードなどをセカンドライターが担当した。また、『スカーレット』や『エール』では本編にスピンオフ的なストーリーを挟んで小休止的な流れを作ったこともあった。『虎に翼』は30代の作家がたったひとりで書き続けている。リーガルエンタメな部分もホームドラマ的な部分も戦争のこともスピンオフ的なご当地ミステリー的な部分もすべてなんとか形にしている。それだけでもすごいことである。
木俣冬