「あの夏を取り戻せ」開催から1年 実行委メンバーの山形大4年生が綴る“熱戦の記録”
成功につながった「選手を幸せにしたい」思い
大学進学後も「モヤモヤ」は消えなかった。サークルにも所属せず、時間を持て余す日々が続く中、ネットニュースを読んで知ったのが「あの夏」のプロジェクト。思いに共感し、発起人の大武優斗さん(武蔵野大学4年)にSNSのダイレクトメッセージで「何かできることがあればお手伝いさせてください」と連絡した。 運営への参加を快諾してもらい、文芸部で小説を書いた経験があったためnoteの運用を任されることに。ほぼすべての出場校を取り上げ、二瓶さんは約40校の代表選手のインタビュー記事を執筆した。大会の成功に向け没頭する日々。「あの夏」以降、止まっていた時間が動き出した。 昨年3月、2020年夏の独自大会優勝校など42チームが参加するかたちでの大会開催が正式に決定。noteで地道に情報発信を続けた効果もあり、大会の知名度も徐々に高まっていった。
当初は自身の「モヤモヤ」を晴らすのが目的だったが、大会が近づくにつれ「選手を幸せにしたい」との思いが強まった。例えば大会初日のスケジュールと内容。当初の案では、実際に甲子園のグラウンドでプレーできるのは抽選で当たった数チームや一部選手だけだった。しかしすべての参加選手にプレーの機会を与えるため、これを変更。午後は抽選で当たった4チームが特別試合2試合を戦い、午前中はそれ以外の38チームが5分間のシートノックを行った。 大会は3日間開催し、2日目以降の交流試合は甲子園ではない兵庫県内の5会場で行ったものの、参加した約700人の選手全員が「あの夏」踏むはずだった甲子園の土の上で白球を追った。大会終了後、選手たちから「ありがとう」の言葉を受け取った二瓶さんは胸をなで下ろした。
後世に伝えたい“一度きり”の貴重な体験
「あの夏の甲子園が中止になってよかったとは言えないですけど、中止になったからこそ貴重な体験をすることができました」と二瓶さん。一度きりの特別な3日間を後世に伝えるべく、今も熱戦の記録を綴っている。
そして「今は配信環境が整って離れていても野球を観られるようになりましたが、球場で生の野球を観て現場の空気を感じるのは格別です」と話すように、野球観戦が当たり前にできる日常のありがたみを再認識している。大学では情報工学などを学んでおり、将来的に野球と結びつける方法も模索中。これからも野球を愛し続けるつもりだ。
(取材・文 川浪康太郎/写真提供 あの夏を取り戻せ実行委員会)