どんな名作にも監督には著作権がない!? 再上映が話題「映画監督って何だ!」で200人の映画監督が訴えたこと
映画監督は作品の「著作者」
現在、東京・杉並の名画座「ラピュタ阿佐ヶ谷」で、〈“時代と切り結ぶ”映画作家たち&「映画監督って何だ!」〉と題する特集上映がつづいている(11月23日まで)。〈日本映画監督協会プレゼンツ〉と銘打たれており、同協会がセレクトした日本映画の名作が続々上映される、映画ファン垂涎の企画である。これからも、『仁義の墓場』(深作欣二監督、1975)、『女囚701号 さそり』(伊藤俊也監督、1972)など、名作が控えているのだが、そのなかに、不思議な作品がある。 【写真】「監督は映画の著作権である」としたためた名監督の姿
それは「映画監督って何だ!」(伊藤俊也監督・脚本、2006)である。「そんな映画、聞いたことないよ」という方も多いだろう。実はこの作品、2006年に、日本映画監督協会が創立70周年を迎えた際、同協会が総力をあげて制作した、“自主映画”なのである。いままで、DVDの直販や、一部イベントでの上映でしか観る機会がなく、今回、ひさびさの劇場上映となる。 では、いったい、何を描いた映画なのか。今回の特集上映のチラシに、同協会の梶間俊一監督が、〈今、なぜ「映画監督って何だ!」を上映するか〉と題したコメント文を寄せている。そのなかに、気になる一文がある。 〈映画を見終わった観客の皆さんは、改めて、作家や画家、音楽家には著作権があって、「映画監督には著作権がない? ! そんな馬鹿な!!」と思われるに違いありません。〉 つまり、映画の著作権が映画監督にない、その事実を多くのひとたちに知ってもらい、著作権奪還を目指す〈プロパガンダ映画〉だというのだ。このことは、映画業界関係者にとっては周知の事実なのだが、おそらく一般観客で知っている方は、少ないのではないだろうか。本作のなかでも、映画を数本、監督しているある小説家が、インタビューを受け、(映画監督に著作権がないことを)「いや~、いま初めて知りました」と、照れながら困惑しているシーンがあるほどだ。 ひきつづき、梶間監督のコメント文には、こうある。 〈監督協会は、1970年の著作権法改定以来、50年余、「著作権奪還の運動」を戦っています。「奪還」と謳うのは旧著作権法では、映画の著作権は監督にあったからです。〉(注:改正は1970年、施行は翌1971年から) では現在、映画の著作権は、誰にあるのか。これについて、同協会のHPでは、こう述べられている。 〈著作権法が改正され、「映画の著作権は映画製作会社に帰属する」ということになりました。従って、現状では監督には著作権がありません。ただし著作者として「著作者人格権」(同一性保持権、氏名表示権、公表権)があります。つまり著作権者としての「財産権」はありませんが、著作者としての「著作者人格権」は持っているのです。〉 ということは、仮に小説本でたとえると、著作権は作家ではなく、出版社に帰属する――ことになるのだろうか? この件に詳しい、映画ジャーナリスト氏に解説してもらった。 「現在の著作権法第16条によると、映画の“著作者”は、『制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与した者とする』とされています。つまり、当然ながら映画監督は、“著作者”――つまり“映画を創作した者”として、認められているのです。しかし、“著作権”となると別です。それを規定するのが第29条で、噛み砕いていうと、『映画の著作権は、その著作者(監督)が映画製作者(映画会社)による製作に参加しているときは、映画会社に帰属する』とされているのです」 だから、深作欣二監督は「仁義の墓場」の“著作者”のひとりではあるものの、“著作権”は所有していない。「女囚701号 さそり」の伊藤俊也監督も同様。どちらも著作権は、映画会社「東映」にあるのだ。 これは海外もほぼ似たような状況で、たとえば、オーストリア 出身で、フランスへ亡命してアメリカにわたった映画監督、フリッツ・ラングのインタビュー集の邦題は、『映画監督に著作権はない』(筑摩書房、1995)である。ここでラングは、自作が勝手に切り刻まれて、ほかの映画で使用されたことを嘆いている。 また、かつて映画評論家の西村雄一郎氏が、名匠ルネ・クレマン監督にインタビューし、モノクロ映画「パリは燃えているか?」(1966)で、ラストのパリ解放シーンでカラーになる演出を賞賛した。すると本人は、「俺は、そんなシーンは撮影していないぞ」と驚いていたという。実は、製作会社のパラマウントが、海外配給用に勝手に改変していたのである。 「先日、エミー賞を独占した配信ドラマ『SHOGUN 将軍』で、真田広之は出演オファーが来た際、『プロデュースに参加させてくれるなら受けますよ』と答えたそうです。要するに彼は、製作者側に身を置かないと、自分の思うような作品にできないことを、身に沁みて知っていたのです」(映画ジャーナリスト)