【卓球】44年ぶりに名古屋の地を踏んだ倪夏蓮と、デヌッテとの18分35秒
60歳を越えたルクセンブルクの倪夏蓮は、6回目の五輪を目指す
名古屋で開催れた卓球のWTT女子ファイナルズ。女子の世界トップスターたちが集まる大会だった。 その中で異彩を放ったのは女子ダブルスに出場したの倪夏蓮(ルクセンブルク/ニィ・シアリエン)だ。60歳で還暦を迎えている元世界金メダリスト。家に来て自分の娘と遊んでいたというダブルスパートナー、デヌッテとのダブルスで初戦の準々決勝で中ペアにストレートで敗れた。 10数時間かけて日本にやってきたが二人の戦いは18分35秒で終わった。 しかし、負けてもコートのそばで多くのファンが集まり、一人ひとりサインをする二人がいた。 「(中国ペアに対して10-12で落とした)1ゲーム目は惜しかったし、良いプレーができていた。あのゲームを取っていれば少しはゲームの流れが変わったのに残念。でも相手も強かったし、良いプレーだったわね」と試合直後、汗もまだひいていない状態で倪夏蓮(ニー・シャオリェン/ルクセンブルク)は答えてくれた。 「実は名古屋に来たのは1979年以来、44年ぶりなの。なんかワクワクするし、ここにいるのがとてもハッピーなんです」と笑顔になっていた。 それは1979年の日中交歓卓球大会のことだ。文化大革命の中断があったものの1960年代から続いていた日本と中国の親善大会だ。当時は今のような国際大会がほとんどない中で、両国、両協会の友好を深めるための大会だった。1963年7月4日生まれの倪夏蓮は期待の中国の若手として16歳で初めて日本の地を踏んだ。 この時、彼女はサウスポーの表ソフト速攻型だった。しかし、不安定な速攻プレーにアクセントを付けるために中国首脳陣は粒高ラバーと表ソフトの反転プレーを勧めて、82年に異質攻守型にモデルチェンジし、1983年世界選手権東京大会では女子団体と混合ダブルスで優勝した。 その後、1989年にドイツ、そして90年にルクセンブルクに移った。ヨーロッパでの数々の栄光、そして2021年の世界選手権ではデヌッテとの女子ダブルスで36年ぶりの世界のメダルを獲得した。まさに生きるレジェンドだ。 今年の7月に60歳を迎えた倪夏蓮だが、プレーもそうだが、快活に話すその明るさもとても還暦を迎えた選手には見えない。 「パリのオリンピックを目指しています。もし出場できたら6回目。最初のシドニーのオリンピックは37歳の時の出場だった。もし選手としての中断がなかったら、すでに6回、7回と出ていたかも(笑)。卓球を続けるモチベーション? こんなに素晴らしいスポーツはないし、そして選手でいることの責任感かもね。そして何より卓球を楽しむことよ」 60歳を過ぎて、なお消えない卓球への情熱と「卓球愛」。もし倪夏蓮がパリのコートに立てば、その時彼女は61歳になっている。 44年の時を経て、名古屋で開催されたWTTのコートに立った18分35秒。選手としては短い時間だが、倪夏蓮にとってその時間はとても尊く、輝いていた瞬間だったに違いない。