「自分を褒める」話すキャリアは60年!84歳の元NHK女性アナの健康のヒケツ
1963年にNHKへ入局後、バラエティーから大河ドラマのナレーション、ニュース、そのほかさまざまな番組を担当。女性アナウンサーの草分け的存在として名を馳せ、84歳の今もなお、第一線で活躍し続ける加賀美幸子さん。昭和の名番組の裏側や、心身のメンテナンス法をうかがった。 【写真】今すぐ真似たい! 加賀美さんの健康のヒケツ3条
40代半ばでNHKを辞めようかと本気で悩んでいた
「特別なことは何もしていないんです。大きな病気やケガはしてこなかったので、健康には恵まれていると思いますが。ただ、毎日しっかりと声を出していることが、健康につながっているのかも」 と話すのはフリーアナウンサーの加賀美幸子さん(84)。 昭和50年代にNHKの女性アナウンサーとして初めてバラエティー番組の司会を務め、後に大河ドラマのナレーションにも抜擢された。女性アナウンサーの活躍の場を広げてきた第一人者である。大河ドラマは『峠の群像』『風林火山』の2本を担当。 「たまたま時代の風が吹いたおかげですね。いろいろな番組を担当させていただきました」(以下、加賀美さん) 80歳を過ぎたいまもNHKラジオのレギュラー番組を2本抱え、ドキュメンタリー番組のナレーションも数多く担当。“朗読の加賀美”と呼ばれるほどの朗読の名手でもあり、言葉に関する講演、講座の依頼があれば、全国津々浦々どこにでも飛んでいく。 加賀美さんがNHKに入局したのは1963年。当時はアナウンサーにも男女間で仕事の差があり、ニュースは男性、暮らしのネタは女性など、暗黙のルールがあった。 「それを嫌だとは感じていませんでしたね。仕事にはどちらが上なんてないと思っているので。どんな収録でも、表現のあり方には、とことんこだわりました」 与えられた仕事にひたすら全力投球。そんなある日、当時大人気の放送作家、永六輔さん(享年83)から新番組の司会に指名されたという。 「その数年前に永さんが担当された、黒柳徹子さんや坂本九さんも出演していた音楽バラエティー『夢であいましょう』が終わって。売れっ子の永さんが新しく番組を手がける、と局内は大騒ぎでした」 番組名は『テレビファソラシド』。2年目からは駆け出しの芸人だったタモリも司会に加わる。タモリのくだけた様子と淡々と受け流す加賀美さんとのギャップあるやりとりが笑いを呼び、加賀美さんの名は一躍全国区に。 着実にキャリアを重ねていくなか、実は仕事を辞めようかと悩んだ時期もあった。 「40代半ばでNHKを辞めようかと本気で悩んでいました。ちょうどそのころ、夫のイギリス転勤も決まり、上司に退職の相談をしたところ、あっさり受け入れられて、本当はそのまま辞めるつもりだったんです。でも『せっかくここまでがんばってきたんだから有給休暇を取りながらでも続けてはどうか』と引き留めてくださる方がいて。あの時、対応してくださった方々には感謝しかありません」