<キャリアのピーク>42歳で笠置シヅ子が歌手を引退した理由とは…服部いわく「最高の思い出を残して音の世界から消えた」誰もがリスペクトしたその潔い生き方『ブギウギ』
◆ホンマによう言わんわ 昭和30年代から40年代にかけて、バイプレイヤーとしても数々の映画に出演した。 水谷良重(現・水谷八重子)主演『アトミックのおぼん 女親分対決の巻』(61年・東京映画・佐伯幸三)では、スリの親分・ヌーベル婆ちゃんをコミカルに演じ、軽演劇出身で当時、テレビで大人気のコメディアン、渥美清との丁々発止を見せてくれた。 映画で印象的なのは、吉永小百合と浜田光夫主演『愛と死をみつめて』(64年・日活・斎藤武市)で、ミヤコ蝶々、北林谷栄と共に演じた入院患者のおばちゃん役。 斎藤武市監督に伺った話では「どうしても笠置さんのキャラクターが欲しかった」とオファーしたという。 日活で石原裕次郎と名コンビだった舛田利雄監督が、『河内ぞろ どけち虫』(64年・日活)で河内のゴッドマザー的な母親役にシヅ子を抜擢したのも「買物ブギー」のおばはんに出て欲しかったと、筆者に話してくれた。 最初、シヅ子は固辞したが、舛田が説得して出演した。 舛田がシヅ子のために用意したセリフが「ホンマによう言わんわ」だった。 誰もがシヅ子をリスペクトしていた。
◆時空を超えて 『喜劇大安旅行』(68年・松竹)で、シヅ子は新珠三千代の母親役で出演。劇中で伴淳三郎とゴールインしてラストがその新婚旅行だった。 可愛らしいおばちゃんキャラで、往年のイメージを踏襲していた。これも瀬川昌治監督の猛烈なラブコールに応えてのことだった。 ちなみに瀬川監督は、戦前からシヅ子の才能を評価していた瀬川昌久先生の弟である。 いずれの監督も、「ブギウギ・ブーム」の渦中、若者として撮影所を走り回っていた。 現場で一緒になった人も、そうでない人も「この役は笠置シヅ子で」とイメージしてキャスティングしていた。 黒澤明『野良犬』(49年・映画芸術協会=新東宝)で焼け跡の風景に、「東京ブギウギ」が流れるが、これはリアルタイムの風俗描写だった。 以後、映画やテレビで敗戦後の混乱期、闇市などのシーンにはかなりの確率で「東京ブギウギ」が流れている。 1970年代になると「懐かしのメロディ」的な企画で、戦前、戦後のスター歌手たちが集結して、往年のヒット曲を歌う「懐メロ番組」が数多く作られた。 しかしシヅ子は、すでに歌手は引退しているので、とさまざまなラブコールを断り続けた。その潔さこそ、笠置シヅ子であり、彼女の生き方でもあった。 それゆえ、遅れてきた世代は、全盛期の彼女の歌声を聴く喜びがあり、映画に記録されたパフォーマンスを体感することができる楽しみがある。 笠置シヅ子と服部良一が残した五十数曲のレコードセッションは、21世紀を生きるぼくたちに、様々なことを教えてくれる。 戦前ジャズの豊かさ、敗戦後の人々の生きる糧になったブギウギ…。 笠置シヅ子のパワフルな歌声、息遣いに、未体験の時代を感じることができる。時空を超えて、今を生きるぼくたちに限りないチカラを与えてくれるのである。 ※本稿は、『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(興陽館)の一部を再編集したものです。
佐藤利明
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