目黒蓮 優しく、謙虚な男が“めめ"ブームに思うこと「ただコツコツするだけ。一生、これしかできない」
Snow Manの目黒蓮(27)が、このほどスポーツ報知の新春インタビューに応じた。2020年1月のデビューから、グループではミリオンヒットを連発し、昨年は5大ドームツアーも成功。個人ではドラマ「silent」(22年)や「海のはじまり」(24年)などが大ヒットし、一躍トップアイドルの地位を確立した。日陰にいたジュニア時代から、現在の“めめ”(愛称)ブームに思うこと、そしてメンバーと描く新年の抱負など、独占インタビューで語り尽くした。(取材・構成=田中 雄己) イメージ通り、どこまでも丁寧で、繊細な人だった。目黒はどんな質問にも熟考して、思いを言語化しようとした。「…」「うーん」。何度もうなりながら、秘める思いを語った。 スーパースターに上り詰めながら、優しく、謙虚であり続ける。その姿こそ、目黒蓮。20年1月にSnow ManとしてCDデビュー。難聴を患った青年役を演じたフジテレビ系ドラマ「silent」(22年10月期)は、TVerの見逃し配信数が歴代最高の7300万回超再生を記録するなど人気が沸騰した。昨年も、7月期のフジ系ドラマ「海のはじまり」で“月9”初主演を飾り、グループでは初の5大ドームツアーを実現。個人では「今年の顔」(日経トレンディ)、「ベストジーニスト賞」に選ばれ、Snow Manはオリコンのアーティスト別セールス部門の年間1位に。時代の寵児(ちょうじ)になった。 そんなことを聞くと、トップアイドルらしからぬ言葉が返ってきた。「皆さんに見てもらうために頑張って、もがいて、突き進もうとしたのかな」。端正な顔立ちと長身のスタイルからはほど遠い、「もがく」という言葉。だが、彼は「もがき、もがいている」という。昨年8月に体調不良で活動休止した時も、そうだった。 「日々ギリギリで生きている方もいる。そういう方たちに『勇気をもらえたな』『明日も頑張ってみようかな』と思ってもらえるようなモノを届けたくて。自分がどんな状況であれ、それができるように」。口調は穏やかだが、強い意志が込もった。 現在の姿からは想像しにくいが、長らく日陰を歩いてきた。10年に入所し、ジュニア時代を10年間経験した。「先輩のバックの、しかも後ろの端にずっといて。本当に誰からも見られないようなところで、誰からも求められずにやってきた期間が長くて」。同期が踊るステージの袖で、軍手をつけて裏方作業に励むこともあった。 「もうやめる」。何度も、何度も考えた。ある日、退所の覚悟を伝えた友人から助言を受けた。「目標を書いてみたら?」。ノートに夢をつづり始めた。「デビュー」「月9」「ベストジーニスト」。言葉として周囲にも発すると、「言霊」となって意識が変わり、次々と願いが成就した。 デビュー後も、平たんな道のりではなかった。自身を舞台やSnow Manに抜てきしてくれた滝沢秀明氏が22年に退社した。23年には、所属事務所の問題が広がり、芸能活動に大きく影響が及んだ。当時のことをたずねた。数秒間、無言が続いた後、目黒は言った。「TOBE(滝沢氏が設立した事務所)に行くか?ってことですか?」。わずかに笑ったが、すぐに続けた。「本当にいろいろなことがあって、一つ一つ壁を乗り越えてきて。あっという間だったという気持ちもありますけど、しっかり長かったなと思う」。大きく息を吸って、言葉を発した。 「コツコツやり続けるしかないんですよね」。思いを吐き出すように、少し早口になった。「滝沢くんには、すごくお世話になりましたし、感謝しています。ただこの場所には他にも先輩方がいて、ここで、育ってきたことも事実で。滝沢くんがやめた後にも、滝沢歌舞伎が控えている状態で。『ファンの方をさみしくさせないように』とメンバーだけで必死に考えて」 つらく、さみしい気持ちを思い出したのか。目黒はうつむき、ボソッと言った。「僕なんか、誰もデビューできるなんて思わなかっただろうから。ただコツコツするだけ。一生、これしかできないんです」 23年の元日紙面では、木村拓哉(52)が1面を飾った。木村が平成の「キムタクブーム」を起こしたように、いま“めめ”が表紙を飾る雑誌は店先に並ぶと同時に消え、着用した服は完売。出演作の撮影地を、多くのファンが“聖地巡礼”する。社会現象的な人気では共通する2人だが、ビシビシとオーラを放つ木村とは対照的に、目黒は繊細だ。 「不思議ですね。街を見て、自分の看板があること一つとっても不思議だなと思います」。そして、また昔を回想した。「誰からも見られないようなところで、誰からも求められずやってきた期間が長かったから、求められることが、すごくうれしくて。誰かが求めてくれたからそこにいられるし、その思いには応えたい。このインタビューもそうですよね? 報知新聞の読者にも(元日は)目黒君で良かったなと思ってもらいたい。そういうこと一つ一つに応えたい」 求められることに、応えたい―。大みそかも、そうだった。NHK紅白歌合戦ではなく、公式YouTubeでライブ生配信を開催。その雄姿を、多くのファンが見つめた。 「やっぱり、ファンの方が喜んでくれることが第一。何をしたら喜んでくれるかなと考えていて。メンバー9人で集まって、話して、考えたんです。『ファンの方が喜んでくれることってなんだろう』って。それが、答えですよね」 自身にとって、メンバーとはどんな存在か。「人によって違うと思うんです。『戦友』とか『家族』とか。僕はね、『友達』であり『親友』」。そう言うと、パッと笑顔がはじけた。「それくらい楽しくて、仲が良くて。友達と休日に遊ぶ気持ちで、僕もメンバーに会いたいから、会っている」 今月22日にデビュー5周年を迎える。抱負として「進」と記した。「いつもは『攻』と書くんですけど、5周年なので、できるだけメンバーのみんなと一緒に過ごしたい。だから、ちょっと(個人の仕事を)セーブして、皆と過ごせたらなって。あとは、できるだけ皆さんの明日生きる力になれるような、頑張ろうと思ってもらえるような。そんな活動ができたら。突き進む感じというより、一歩一歩『進』められたら」 夢も記してもらおうと色紙を差し出したが、目黒はマジックを持ったまま一点を見つめ、動かない。30秒、1分がたった。「パッと書けないので、抱負だけでいいですか?」。白い歯を見せ、笑った。 決して冗舌ではないし、大風呂敷も広げない。だが、コツコツ、もがいてトップアイドルになった目黒の笑顔は、優しく、キレイだった。色紙に記しきれなかった夢は、どこまで広がるのか。目黒の、Snow Manのアニバーサリーイヤーが幕を開けた。 ◆取材後記 写真撮影でのこと。立って、座って、横になって。さまざまなポーズを取るたび、目黒は駆け寄るヘアメイクやスタイリストに「ありがとうございます」とお礼の言葉を添えた。そんなタレントは、見たことがなかった。裏表がなく、純粋で、繊細で。群雄割拠の芸能界。それは強みにもなれば、弱点にもなる。だが、彼のそばには、自分と同じように“下積み”を長く経験した仲間、自分と同じようにグループに途中加入した仲間がいる。自身と似た境遇で分かり合えるメンバーがいる。親友同士で“九人十脚”で支え合うことで、弱点は補われ、強みが生きるのだろう。 SNSや情報網が発達して便利になった一方、信じられるモノが少なくなった。不器用ながらも、不断の努力を重ねる目黒、そしてSnow Manは「信じられる存在」として多くの人々の心をつかんでいる。取材中、目黒は6回も「コツコツ」と口にした。この言葉こそ、彼の神髄だと思った。(雄) ◆目黒 蓮(めぐろ・れん)1997年2月16日、東京都出身。27歳。2010年10月30日に入所。19年1月にSnow Manに加入し、20年1月にデビュー。22年10月にフジテレビ系ドラマ「silent」が大ヒットし、同12月に「月の満ち欠け」で映画単独初出演。昨年7月にフジテレビ系ドラマ「海のはじまり」で“月9”初主演。2月14日には、主演映画「劇場版 トリリオンゲーム」が公開予定。 ◆Snow Man 2012年5月3日に、岩本照、深澤辰哉、渡辺翔太、阿部亮平、宮舘涼太、佐久間大介の6人組グループとして結成。19年1月にラウール、向井康二、目黒蓮の3人が加入して9人組グループになり、20年1月22日に「D.D.」でCDデビュー。同年大みそかのNHK紅白歌合戦に選ばれたが、宮舘が新型コロナウイルスに感染し、メンバー8人も濃厚接触者に認定され、出場を辞退。21年の紅白で初出場。23年は4大ドーム、24年は5大ドームツアーを開催。昨年リリースしたシングル2作とアルバム1作は、いずれもミリオンセールスを記録した。
報知新聞社