映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』には、心を揺さぶられずにいられない!──吉沢亮主演で9月20日に劇場公開
五十嵐大による自伝的エッセイを映像化した映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』は9月20日(金)に劇場公開される。耳のきこえない両親と耳のきこえる息子の心の軌跡を描いた本作の見どころをライターのSYOがレビューする。 【写真を見る】吉沢亮、忍足亜希子、今井彰人、ユースケ・サンタマリアらが出演
第94回アカデミー賞作品賞ほか3冠に輝いた『Coda コーダ 愛のうた』等もあり、少しずつ認知が広がっている感のある「コーダ(聞こえない、または聞こえにくい親を持つ聴者の子ども)」。作家・五十嵐大の自伝的エッセイを原作に、『そこのみにて光輝く』の呉美保が監督、『正欲』の港岳彦が脚本を手掛け、吉沢亮がコーダの主人公を演じた『ぼくが生きてる、ふたつの世界』が9月20日より全国順次公開(宮城県では9月13日に先行公開)。 宮城県の田舎町。両親が耳が聞こえない環境で育った大。映画は彼の誕生から20歳になるまでをアルバムをめくるように淡々とつづりながら、「聞こえる世界」「聞こえない世界」を行き来する大の内面を紐解いてゆく。日常的に手話を使い、両親の通訳を務める自分にとって“普通”の生活が他者から奇異の目で見られ、傷ついてしまう大。やり場のない感情を母にぶつけてしまい、気まずいまま自分なりの生き方を探して東京に旅立つのだが──。 本作の特長であり魅力の一つは、劇的な演出を徹底して排している点。エモーショナルな音楽を乗せたり、大仰なモノローグを入れたり、人物の泣き顔などの表情をアップで切り取ったりすることなく、ある家族の生活そのままをフラットに見つめている。「背後から車が近づいてきても母が気づかないため、手を引っ張って教える」「買い物の時には通訳をする」「家に帰ったら照明を点滅させて知らせる」等々、大の日常を我々観客は静かに見守ってゆくのだ。 そのベースがあるため、自分と他者の境遇の違いに悩む大の心情描写も細やかにスッと心に入ってくる。友だちを家に連れてきた際、「お母さんの話し方おかしくない?」と言われて落ち込んでしまい、両親に授業参観のプリントを渡せなくなってしまう。その後、反抗期も重なって「なんで俺が配慮しないといけないんだよ」と母親に怒ってしまったり、志望校に落ちてしまった際には「こんな家に生まれたくなかった」と八つ当たりしてしまったり……。言葉で書くと心痛なシーンだが、序盤から丁寧に“生活”を紡いでいくため、大と母の根底にお互いへの深い愛情があることを私たちは“知っている”。誰も悪くない、お互いに愛している、だから苦しくて切ない──。フィクショナルなドラマとして享受するというよりも、どうしたらいいのか、何か手を差し伸べられないかと観る側が能動的に感じるような“隣人愛”や、“自分事化”に近い感情がこみ上げてくる。 ただやはり我々観客は画面の向こうにいる大たちに干渉できないわけで、どうしたって哀しみはつきまとう。しかし本作は、その感情で終わらせず、観る者を大いなる愛で包み込んでくれる。「大が大人になっていくにつれて両親の想いを知っていき、愛情が増幅する」展開がごくごく自然な流れで組み込まれているのだ。「周囲を見返してやりたい」と役者を目指し、せっせと上京して芸能事務所のオーディションに参加するも落ち続け、意気消沈のまま地元で就職しようとする大に父がかけた言葉、親戚から教えられる両親の過去、そして母と過ごしたある日の想い出──。さらに、東京での生活の中で大がろう者の人々や仕事仲間と交流し、認識がアップデートされていくと同時に両親の存在の大きさを再確認するエピソードの数々が、“隠し味”として効いている。 これ以上の詳細は観てのお楽しみということで省くが──実は本作、あるシーンだけ呉美保監督が意識的にエモーショナルな演出を施している。そこでの吉沢亮、母役の忍足亜希子の演技も出色で、丹念に積み上げてきたものを一気に開放するかのような愛一色のシーンに心を揺さぶられずにはいられなくなるはず。そしてきっとその感情が、本作への感想になることだろう。この親子に出会えてよかった、と。