斎藤・兵庫県知事 出直し選挙出馬「無所属・ひとりで」「議会解散の選択肢なく“県民の信”問う」
兵庫県議会で不信任決議が可決された斎藤元彦知事が、議会を解散せず、30日付で自動的に失職し、出直し知事選挙に臨む。26日、会見で明らかにした。 【画像】斎藤元彦知事「出直し選挙出馬」表明 斎藤知事は9月19日の県議会で、自身のパワーハラスメントなどが指摘された告発文書に端を発した問題をめぐり、全議員86人から不信任決議案が提出され、全会一致で可決された。 不信任決議は地方自治法により法的拘束力を持つ。斎藤知事は決議から10日以内に議会を解散するか、辞職・失職かの判断を迫られていた。 戦後、都道府県知事への不信任が決議されたのは岐阜県(1976年)、長野県(2002年)、徳島県(2003年)、宮崎県(2006年)、今回の兵庫県の計5件。 岐阜と宮崎では辞職、長野と徳島では失職を選択して出直し知事選に立候補した。このうち、長野の田中康夫氏は再選された。 告発文書をめぐる一連の問題は、兵庫県議会で51年ぶりに調査特別委員会「百条委員会」が設置された。 斎藤知事のパワハラ疑惑のほか、告発した元県民局長の男性(2024年7月死亡)を公益通報の保護対象とせず、懲戒処分とした経緯などを検証していた。 しかし、斎藤知事は百条委に初出頭した8月30日の証人尋問で、「男性への処分は適切だと思っている」と証言した。さらに9月6日に行われた尋問では、一連の問題で県政の混乱を招いた件を謝罪したが、「道義的責任は何かわからない」と発言し、疑惑を一貫して否定していた。 斎藤知事は失職した上で出直し知事選挙に臨み、知事選は50日以内に実施される。任期は新たに4年となる。 ■決断は25日朝に~高校生から「辞めないで」と書かれた手紙 この日の会見で斎藤知事は、出直し選挙出馬への決断は25日の朝だったことを明かした。 そのきっかけは、ある男子高校生から「辞めないでほしい」という内容の手紙を手渡されたことだったという。 「こんな自分でも、大事にしてくれている」。迷いが吹っ切れ、県民からの信を問う気持ちが固まったという。 ■議会解散、選択肢になかった… これを踏まえ「解散という選択肢は最初からなかった。私は兵庫県が大好きだ。まだまだやらねばならない改革がある。県民のみなさんに信を問い、兵庫県の改革を進めたい」と述べた。 そして、初当選した2021年7月の知事選挙で約86万票を集めたことに触れ、「あの時の沿道の声援を忘れることはできない」と振り返った。 ■今度の選挙戦は「無所属・ひとり」 今後の選挙戦について、「私は(政党という)組織の後ろ盾がないし、どこの政党からも力を借りることはない。無所属・1人でやることになる。自分流の選挙に挑戦したい」と語った。 ■「雲中雲を見ず」おごり、慢心があった… 不信任決議されたことについては、「おごり、慢心があり、それが言動につながったと思う。職員の皆さんとの接し方、議会の議員1人1人の思いを聞いていくことが大事」と述べ、自身の態度を改めることにも言及した。 斎藤知事は座右の銘として、「祖父から贈られた『雲中雲を見ず』という言葉を大切にしている。自分が見えず、傲慢(ごうまん)にならないよう胸に刻みたい」と話していた。 そして、▼退職金カット、▼公用車センチュリーの廃止、▼県庁舎の建て替えの凍結のほか、▼県の貯金にあたる財政基金残高は、阪神・淡路大震災以来、30年ぶりに100億円を超えて130億円にのぼった実績を語った。 しかし、「斎藤元彦という政治家に欠点や間違ったことがあったかも知れない。未熟なところもあった。結果として混乱を招いたことは、私に責任がある。これらをしっかり受け止めていく。相当厳しい選挙戦になる」とした。 斎藤知事は東京大学卒業後の2002(平成14)年に総務省に入省。大阪府財政課長を経て2021年7月、自民党と日本維新の会の推薦を受けて兵庫県知事選に立候補し、約86万票を得て初当選した。任期は2025年7月までだった。 ■知事選投開票は11月10,17日で調整か 兵庫県選挙管理委員会によると、知事選の投開票日は11月10日か17日を想定。 9月30日に開かれる委員会の会合で決定する見込み。 ・・・・・・ ■自民「自ら辞職すべきだった」厳しい指摘 斎藤知事が議会を解散せず、失職を判断したことについて、県議会最大会派・自民党の北野実幹事長は、「議会を解散する大義はまったくないので、議会のことをしっかり考えての結論ということは受け止めた」と述べた。 しかし斎藤知事が「辞職は考えなかった」と語ったことについては、「辞職せずに続けるのが責任というのは理解しにくかった。(不信任を受ける前に)辞職し、県民に信を問うべきだった」と批判した。
ラジオ関西