「中年のきれいな女性が多い……」国立市富士見台の教会に集う、独裁政権とチェルノブイリを経験したルーマニア人女性たち
激動の時代を生きた女性たちの祈りの場所
「もういちど人生を送るとしたら、同じ生き方はしない。国際結婚は大変だし、日本での生活に慣れるのも時間がかかった」 一人が言うと、周囲の女性たちが頷いた。彼女らはこの日、日本人の夫を連れてきている人も多い。夫たちは結婚する際にルーマニア正教に改宗した人もたくさんおり、決して夫婦仲が悪いわけではないはずだが、同胞同士で集まるとそう感じてしまうようだ。別の女性もいう。 「結婚して21年になるけれど、いつかはルーマニアに帰りたい。最後は自分の国で暮らしたい」 彼女らと話していて印象的だったのは、同じように1990年代~ゼロ年代の日本に「出稼ぎ」に来たフィリピンやタイなど東南アジアの人たちと比較しても、話の内容が筋道立っていることだった。日本語も強引に単語を並べて喋るブロークンな話し方ではなく、文法や発音を真面目に勉強したことを思わせるしっかりした表現で話す人ばかりだ。 本来であれば、普通に高校や大学に行って、会社員になって結婚して……という人生のルートを歩んだはずの一般市民の女性が、国家が崩壊したことで遠い東の果ての国に働きに行くことになった。彼女らはやがて日本人の男性と結婚し、この国の社会の一員になったが、子どもが手元を離れる年齢になって遠い故郷が懐かしくなり、国立市の教会に集っているのである。 「いま、ルーマニア人はどんどん世俗的になっていて、教会に行かなくなっています。でも、年を取ってから教会に帰ってくる人がいる。(日本でルーマニア教会に来る人たちについては)教会の再発見。ある意味で『改宗者』のような存在だといえるでしょう」 ダニエル神父はそう話す。30数年前の東欧諸国の激変が、回り回って国立市富士見台の教会を動かしている。
集英社オンライン