【連載】会社員が自転車で南極点へ1 抱き続けた夢実現への一歩とは
南極へのフライト席アリ、迫る決断の時
そして2014年の12月、同社から、今回の自転車旅行に直接繋がる話がもたらされた。「2015年の冬、南極大陸のフライトに席がありますよ」 願ってもいない、巨大なチャンスが、僕の元に回ってきた瞬間だ。南極大陸には、無制限に人が出入りできるわけではない。限られた便数で発着するANIが所有する輸送機「イリューシン」。そこに乗り込める人間だけが大陸の地を踏む事ができる。(ここは、平等に「早い者勝ち」のようだ。) 当時は、まだお金も集まっていなければ、有給休暇の許可も取れていなかった。しかし、回答まで時間の猶予はない。「行くか、行かないか?」僕は決断を要求されていた。 僕の出した答えは、「YES」だった。 2015年1月、南極大陸に唯一基地を有する民間旅行会社「ANI」との交渉が始まった。南極大陸の端から南極点までの1,000kmを目指すプランだ。しかし、時間とお金が、この交渉に予期せぬストップをかけた。 ANIによれば、少なくとも3カ月間の日数と、2,000万円程度の資金が必要との事。会社との交渉の末、僕が取得できた有給休暇は、1カ月程度。借りることができたお金は、1,000万円程度、だった。 1000kmの冒険旅行をとることは、仕事と家族を捨てること、そのものだったのだ。「サラリーマンとして、南極大陸を目指すのか?」「冒険家として、南極大陸を目指すのか?」僕は悩み、苦しんだ──。
旅立ちの朝 感じずにいられない罪悪感
結局、僕が選んだのは、サラリーマンとしての自分だった。会社や家族との関係を維持しつつ、限られた時間や予算の中で、できる限りの旅行をしよう、というのが結論だ。 出発地点のチリ、プンタアレナスの町にいくチケットは往復13万5100円。クリスマス・イヴ出発、このあたりで一番安いチケットを、僕は確保した。 当日の朝、僕は須磨の社宅を後にした。家内と娘は、わざわざ起きて、僕を送り出してくれた。「どうか、ご無事で、」と頭を下げる家内と、かけよる娘。「お母さんの言う事を聞くんだぞ、」そう言って娘を抱き締めると、子ども特有の柔らかい匂いがした。さすがに、罪悪感を感じずにはいられなかった。僕は「遊び」のために、この家を出るのだ。 須磨駅からJRで三宮駅へ移動。そこから、バスで関西国際空港へと向かう。通勤電車の中で、スーツ姿のサラリーマンに挟まれて、僕は小さくなっていた。申し訳ない気持ちで一杯だった。本来であれば、ここにスーツ姿で立っているべきなのは、僕なのだから。