「演歌を歌うにはまだ早すぎる」16歳でまさかのアイドルデビューした長山洋子(56)歌手活動40周年迎え「当時が今さら愛おしく」
── 40周年記念では、アイドル時代のポップス曲オンリーのベストアルバムも出していらっしゃいますね。懐かしい曲がたくさんありました。 長山さん:自分でも結構気に入っているんですよ(笑)。70年代や80年代にディスコでかかっていた曲のカバーをたくさん歌っているから、きっと同世代の人には懐かしく聞いてもらえるんじゃないかなと思います。家でも娘とよく一緒に聞いているのですが、英語の発音をからかわれたりします(笑)。
── 新曲『白神山地』は、ご自身のアイコンでもある津軽三味線を弾きながら歌うというスタイルですね。立ったまま三味線を弾くのは体力を使いそうです。 長山さん:三味線は5キロもあるので、バランスをとるのがなかなか大変なんです。踏ん張る力が大事ですね。立ち姿が美しく見えるように家で体を鍛えています。津軽三味線の立ち弾きは、すごく体力を消耗しますが、80歳までは続けたいなと思っているんです。私の師匠が今ちょうど80歳なので、「あと24年一緒に頑張ろうね」と約束していて。師匠はそのころ104歳になりますが、「いけるよね?」と言い合っています(笑)。
■50代になり「ようやく肩の力が抜けてきた」 ── これまでの芸能生活を振り返って、あらためてどんな思いでいらっしゃいますか? 長山さん:40年間、歌手として走り続けてきましたが、ここ数年で、ようやく肩の力が抜けて、「ちょうどいい加減」の頑張り方がわかってきた気がしています。 2019年にがんを患い、つらい闘病生活を乗り越えて、その後、コロナ禍でステージに立てずに不安な時期を経験しました。あらためて歌への思いと向き合うなかで、これまで以上に、地に足をしっかりつけてブレずに歌っていきたいなと思いましたし、もっとみなさんに楽しんでいただきたい、私自身も楽しみたいなという気持ちが強くなりました。
今までは、「今日はちょっとおとなしめのお客さんだから、頑張って盛り上げなくちゃ」なんて思っていたんです。それが力みになって、空回りしていたのかもしれないなと思って。そんなことをしなくても、普段どおりに自分らしさを出してやっていれば、ちゃんと盛り上がってくるし、一見シーンと静まり返っているように見えて、実はものすごく熱気を感じることも。頑張りすぎないで、いかに楽しむか。それがよい結果に繋がるんだと実感しています。
PROFILE 長山洋子さん ながやま・ようこ。1968年、東京都生まれ。1984年に『春はSA-RA SA-RA』でアイドル・ポップスシンガーとしてデビュー。86年にユーロビートの代表曲『ヴィーナス』をカバーし、大ヒット。88年、映画『恋子の毎日』に主演し、女優としても活躍。93年に25歳で演歌歌手に転身し、以後、演歌界で活躍。2009年にアメリカ人実業家と結婚し、翌年に長女を出産。 取材・文/西尾英子 写真提供/長山洋子
西尾英子