大杉漣さんが語った「白黒はっきりできないから、それを追い求めている」
脚本さえ良ければ手弁当で出演した器の大きさ
いつか、じっくりお話をうかがいたい役者さんだなと思っていたのだが、まさかそれから1年も経たないうちに亡くなってしまうとは予想だにしなかった。取材を通して肌で感じた人間性の豊かさが、まだあたたかい記憶として残っているため、親しく接していた方々が大杉さんの人として役者としての器の大きさや人間性を称えるコメントを発表するたび、その一つひとつが社交辞令的なものではなく心から出されているコメントなのだなと納得がいく。 芸能界には、キャリアも実績もなくても、どこか勘違いしてしまう人も少なくないなか、脚本さえ良ければ学生監督の作品であっても手弁当で出演したという大杉さんの器の大きさは、感動的でさえある。サッカーの無類の愛好者であり、1991年に発起人として立ち上げたという草サッカーチーム「鰯クラブ」も、サッカーが好きでさえあれば参加可能とし、試合があるたび大杉さんを慕って多くの人々が集まるため、実際に試合に出てプレーするにはなかなか大変だったとか。 付き合いの深度に関わらず、とにかく多くの人の心を捉えてしまう大杉さん。その場にいる人たちを笑わせてくれる気さくでおおらかな人柄であったことがうかがえる。 亡くなる前日は、出演中のドラマ「バイプレイヤーズ」(テレビ東京系)のロケで夜9時ごろまで共演者と千葉県内で仕事をしていたという。宿泊先に戻り、食事後に自室に戻ってから腹痛を訴え、病院へ。共演者と妻にみとられながらの最期となったそうだ。 一期一会で強い印象、それも心地よい印象を残す大杉さんは、俳優の鑑といえるのではないか。 (文・志和浩司)