“ロスの超特急”坂本勉がメダルの可能性を占う「ケイリンで2人揃っての表彰台ある」/パリ五輪・自転車
現実的に考えて“2人揃っての表彰台”も充分ある
ーー小原選手はチームスプリントだけでなく、太田選手と同じくスプリント競技にも出場しますが、今の調子の良さならば、太田選手との上位争いも期待したくなってきます。そして、太田選手とは同じ121期でライバル関係となる中野選手もメダル奪取の期待がかかります。 (坂本) 中野はケイリンとチームパシュートに出場を予定していますが、その中でもケイリンの走りに期待をしています。 ーーケイリンは最大で7人の選手たちが、250mのトラックを6周回しますが、勝負が始まるのはペーサーが外れた残り3周となります。ケイリンのルールに準じたPIST6と一緒であり、PIST6を見慣れているファンは、馴染みのある競技とも言えますね。 (坂本) 競技のケイリンはライン戦が無いのもPIST6と一緒です。ケイリンは日本発祥の競技でもあり、それだけに関係者にとっては最もメダルを取って欲しいと願っている競技ともなっています。 ーー過去には北京五輪で永井清史選手が銅メダルを獲得しています。中野選手も2023年の世界選手権のケイリン種目で3位となっているだけに、それ以上の結果も期待したくなります。 (坂本) 中野はオリンピック前のランキングでも5位に入っており、ケイリン競技では世界トップクラスの選手であることは間違いありません。ただ、その中野とジャパントラックカップのケイリン競技で互角のレースをしているのが太田であり、力量的に互角である2人がパリで揃って表彰台に上がる可能性も充分にあると見ています。
“ロスの超特急”坂本勉に聞く!「なぜメダルが獲れたのか」
ーーありがとうございました。続いて「坂本さんと五輪」をテーマに話を聞いてもよろしいでしょうか? (坂本) もちろんです。 ーー坂本さんはロサンゼルス五輪の男子スプリントで銅メダルを獲得しています。その前のモスクワ五輪でも、“幻の代表選手”に選ばれていたそうですね。 (坂本) 高校2年の時、全国大会で優勝したのですが、その後のオリンピック予選では強化選手たちよりも上の成績を残しました。 ーー高校生が年上であり日本トップクラスのレーサーを退けるというのは、まさに『スーパー高校生』ですね。 (坂本) その頃の感覚としては、雲の上にいる人たちと同じ舞台でレースができるという思いしかなかったです。青森ではようやく屋外練習ができるといったタイミングになるゴールデンウィーク期間中の大会でしたし、自分としてもビックリしていました。 ーーそのような練習環境にも関わらず結果を出すあたりが、まさに『スーパー高校生』です(笑)。モスクワ五輪では、お兄さんの坂本典男さんと共に代表に選ばれています。 (坂本) 当時のオリンピックにはアマチュア選手しか出場できなかったんですよ。大学生だった兄はこの機会を逃してしまうと、4年後の大会には出場できなくなってしまいます。自分ではオリンピック出場は降って湧いたような話であり、当時の世相からしても、出場は難しいのでは? と思っていましたが、兄のような限られた時間しかない選手たちにとって、不出場が決まった時(※)はとても悔しかったはずです。 (※…政治的背景・影響による五輪ボイコット) ーー背景が個人的なものではない分、選手の悔しさは図り知れません。坂本さんはその4年後のロサンゼルス五輪でも出場権を掴み取りました。 (坂本) 一度は代表選手に選ばれたことで、オリンピックは雲の上の存在ではないのだと思いました。ロサンゼルスオリンピックに日本代表は参加するとの確信もありましたし、ここから4年間頑張れば、オリンピックに出場できるとの目標を持って、日本大学に進学しました。 ーー大学に入ってからも実力を伸ばしていき、1983年の世界選手権では男子スプリントで6位に入着。これは世界選手権の自転車競技で初の入賞となりました。 (坂本) こうした実績が評価されて、ロサンゼルスオリンピックの出場も決まったわけですが、当時の感覚としてはメダルなんて“夢のまた夢”。少しでも上の順位に行ければいいなと思っていました。 ーーそれが、敗者復活戦から勝ち上がってのベスト4進出。3、4位決定戦では2連勝で勝利を決め、日本自転車競技界に初のメダル獲得をもたらしました。 (坂本) 敗者復活戦に回ったこともありますが、リラックスして臨めたのが、いい結果に繋がった要因だと思います。それでも3位決定戦の前日はほぼ眠れなかったですね。メダルを取らなかったら“ただの人”になってしまうと思いました。メダルを獲得して日本に帰国してからは、まさに別の世界が開けていました。 ーー「坂本勉」の名を知らしめただけでなく、日本の自転車競技の地位向上も果たした結果だと思います。 (坂本) 帰国してからは毎日のように取材がありましたし、昭和天皇と拝謁(はいえつ)させていただく機会を設けてもらったのは光栄の至りでした。その時の経験は一生の思い出となっただけでなく、写真を見返す度に、こんなことがあったのかと振り返っています。 ーー改めて、坂本さんがメダルを取れた要因はどこにありましたか? (坂本) 先ほども話したように、リラックスして大会に臨めたのは大きかったと思います。五輪に限らず、どの大会でもそうですが、実力がありながらも、緊張感に飲まれて力を出し切れない選手がいます。自分のように20代前半の人間に勢いがつくと、手が付けられない存在になってしまうんですよ。そこにスプリント競技ならではの、対戦相手に恵まれた“運”だってありました。全てが備わったのが良かったのでしょう。 ーー太田選手、中野選手、小原選手その頃の坂本さんのような勢いがあるだけでなく、大舞台も経験しています。自信を持って大会に臨めそうですね。 (坂本) あとは運が備わってくれば、メダル獲得は現実となってくるでしょうね。それが叶えられるように、みんなで応援をしていきましょう!