西武から加入の新指揮官「お前は楽だった」 痛感した差…2年連続最下位に「やっぱりか」
初芝清氏は1990年の“千葉マリンこけら落とし”で初本塁打
ロッテ一筋17年間プレーし、「ミスターロッテ」と称された初芝清氏は現在、社会人野球「オールフロンティア」で監督を務める。プロ4年目の1992年からロッテは本拠地が川崎球場から千葉マリンスタジアム(現・ZOZOマリン)に移り、チーム名も「ロッテ・オリオンズ」から「千葉ロッテ・マリーンズ」に変わった。“お引っ越し”にまつわる思い出を語った。 【写真】「萌歌ちゃんかわええ」人気女優とロッテ内野手の2ショット 初芝氏は選手間で話がちらほらと飛び交った頃の記憶を辿る。「最初は“らしいよ”くらいの情報しか出なかった。川崎から移転するかもしれないよ、みたいな感じでしたね。でも千葉だし、どうなんろう、と」。どちらかと言えば懐疑的だった。 千葉・幕張にある千葉マリンは1990年に開場した。「こけら落とし」はプロ野球オープン戦で、3月24日の巨人対ロッテ。「僕らはビジターでした。本拠地になるかもしれない球場なのにビジター。だから移転の噂を聞いていても、どうなの? と思っていました」。とはいえ、初芝氏はこの一戦でマリン第1号本塁打を放って賞金をゲット。その後に「幕張のファンタジスタ」とも呼ばれる雄姿を既に披露していた。 川崎球場が本拠地だった1991年7月31日、重光昭夫・球団社長代行(現オーナー)が千葉移転を表明した。この日、ロッテは初めて千葉マリン主催ゲームを行っていたのだが、西武に2-3で惜敗。ここでも初芝氏は「7番・三塁」で先発出場し、3打数1安打1打点と気を吐いた。本拠地移転は、秋のオーナー会議で正式に決まった。 関東地方でも川崎と千葉では、かなり離れている。「僕は川崎で一人暮らしでした。千葉に移転するのが結婚する時期と丁度重なったので、それを機に千葉で奥さんと一緒に住みました」。他の選手はどうだったのか。「当初は川崎方面から通う人もいましたね。ナイターの翌日がデーゲームならば、球団が手配してくれて千葉のホテルに泊まれます。でもデー、デーだと帰らなきゃいけなかった」。生活の基盤を整える苦労もあった。 チーム名が「マリーンズ」となり、ユニホームが一新された。「オリオンズ」時代は胸にブロック体で「LOTTE」の赤い文字だったのが、筆記体で「Marines」のピンク色に。「あの頃の球界にはピンクって、まだ無かった色でした。そういうのも新しい感じで、みんな『おー、ユニホームが何かこれまでと違うぞ』とか言ってましたね」と笑う。