居心地の悪さと謙虚さを残し 池松亮は上を向いて映画界を歩んでいる【今週グサッときた名言珍言】
【今週グサッときた名言珍言】 「『上を向いて歩こう』をほぼほぼ下を向いて歌って受かった」 (池松壮亮/フジテレビ系「だれかtoなかい」10月20日放送) 【写真】「生成画像説」まで飛び出した浜崎あゆみのインスタグラムに「AIあゆ」の声 ◇ ◇ ◇ いまや日本を代表する映画俳優として活躍する池松壮亮(34)。彼はもともと劇団四季のミュージカル「ライオンキング」の子役として俳優デビューした。新庄剛志が自分の地元に野球チームが欲しいとつくった強豪チームに所属。野球少年だった池松は「野球カードを買ってあげるから」という誘いに乗り、姉と共にオーディションに参加したのだ。 そのときの様子を回想して語った言葉を今週は取り上げたい。それを聞いた中居正広は「短い間に面白い話だな」と感心していた。 消極的に始めた子役活動だったが、映像作品へのデビューはいきなりハリウッド作品。2003年公開の映画「ラスト サムライ」だ。撮影当時は12歳でトム・クルーズさえも知らなかった。「野球の試合を休んでまで、映画の撮影になんか行きたくない」(ほぼ日「ほぼ日刊イトイ新聞」19年10月1日)と思っていたが、次第に映画の現場に引かれていった。そこでは「自分たちのうえに『作品』があって、そのもとに、いろんな国の人たちが集まって、各々が、各々の力を出し合って」(同前)いたからだ。 そんな原体験が、その後のスタンスを決定づけているのだろう。池松は「責任を伴わないお利口さんな言葉を発していても、次世代に問題が蓄積していくだけ」(INFASパブリケーションズ「WWD」24年9月5日)と考え、日本映画の現状を憂慮する言葉をたびたび口にしている。 「いい映画を作って届けるための合理性ではなく、いかにお金や時間をかけずに撮って多くの人に見せるかの合理性が重視されています。とても厳しい条件で、(キャストもスタッフも)いいパフォーマンスをするために時間と労力をかけられない状況にあります」(ムービーウォーカー「MOVIE WALKER PRESS」24年9月29日)と。 加えて、絶対的な映画監督がいて、その下に作品や俳優・スタッフがいるような「手放しの作家主義の時代は終わった」のではないかとも語っている(ほぼ日「ほぼ日刊イトイ新聞」19年10月2日)。彼が理想とするのは「作品ファースト、その下に映画監督で、その下に俳優」(同前)という構図。 かつて下を向いて歌っていた池松壮亮は、そのどこか居心地の悪さと謙虚さはそのままに、「自分たちの手によって向かう方向は決まると信じて、より良い方向を目指して未来に託したい」(文化学園文化出版局「装苑ONLINE」23年1月10日)と上を向いている。 (てれびのスキマ 戸部田誠/ライタ―)