メルセデスの「SL」の始祖は「300SL」だった。ル・マン24時間でも優勝したアイコンはなぜ生まれ、どのように発展したのでしょうか?
モータースポーツの活躍:300SLプロトタイプ
モータースポーツに登場したこの300SLプロトタイプ(W194)のグラマラスな姿は、地上の乗り物というより、当時から、むしろ航空機のような雰囲気であり、名門メルセデス・ベンツのレースでの快進撃というニュースにも増して、人々の目を釘付けにしたことは言うまでもない。 第2次世界大戦後、ドイツの自動車メーカーがようやく復帰を許された最初の国際レースに、メルセデス・ベンツはこの真新しい2台の300SLプロトタイプ(W194)でレースに挑戦した。時は1952年5月2日、イタリアの有名な公道レース、ミッレ・ミリアである(イタリア語で1000マイルの意味=約1600km)。 この300SLプロトタイプ(W194)には、21年前の1931年にこのミッレ・ミリアレースにてSSKで優勝したドライバーである名手ルドルフ・カラッチオラとカール・クリンクのベテラン勢が乗り込み、5月の朝靄(あさもや)をついてブレシアをスタートした。 ここに偉大な300SLプロトタイプ(W194)の活躍の火ぶたが、切って落とされた。大舞台であるこのミッレ・ミリアにていきなり2位(クリンク)、4位(カラッチオラ)入賞という幸先のよいスタートを切ったのである。 その2週間後、ベルンのスイスGPでクリンクが優勝、2位にランク、3位にリースという素晴らしい成績を残した。そして、最大の勝利は6月のル・マン24時間耐久レースで、1位(ランク/リース)・2位(ヘルフリッヒ/ニーデルマイル)を獲得し、さらにニュルブリンクリンクのレースでもオープンボディに改良した300SLプロトタイプ(W194)が1位(ランク)・2位(クリンク)・3位(リース)を独占したのである。 続いて当時のスポーツカーのビッグイベントである第3回カレラ・パナメリカーナ・メキシコでのレースで、クリンクの300SLプロトタイプが平均165.0km/hという驚くべきペースで優勝し、2位にはランクが入るなど、1952年は合計5回出場した同年の国際レースのうち4回に優勝するという圧倒的な強さを発揮した。このようにわずか1年足らずで、連勝を飾ってメルセデス・ベンツのモータースポーツ復帰に加速をつけた。