就職氷河期で「バイト先の塾に就職した男」が見た地獄、ある団塊ジュニアがたどった苦節のキャリア人生
27社を受け、何とか4社から内定を得たものの、採用が決まったのは11月のこと。3月末で塾を辞めてから、半年以上にわたった第二新卒としての就職活動は「社会から取り残されている不安に押しつぶされ、何度もくじけそうになりました」(吉岡さん)。 そんな状況を支えたのは、大卒2年目で挫折するわけにはいかないという覚悟と、「絶対に諦めない。最大の敵は自分」との強い意志だったという。 「自分が塾講師として、子どもたちに偉そうに『絶対に諦めるな。最大の敵は自分なんだぞ』などと情緒的に語ってきた以上、就職に失敗してやさぐれた姿を見せたくなかったんです。仮に、そんなふうになってしまった自分を見てしまったら、生徒はがっかりするだろうな、などと想像していました」
■経理のスペシャリストを目指したい かろうじて滑り込んだのは、東証1部上場(当時)の化学メーカーで、配属されたのは経理部門。まったくの門外漢だったため、とにかく必死に食らいついた。簿記はもちろんのこと、エクセルすら使ったことがない「新人」が囲まれた職場環境は決して快適ではなかったが、雑用でも何でも積極的にこなすことで、次第に信頼が得られるようになった。 一方で、社会人歴は塾講師経験の1年にとどまる吉岡さんに対し、当時はまだ言葉として認識されていなかったパワハラ的な言動を繰り返した上司や先輩もいて、やるせない日々でもあった。
慣れない経理職に就いてから2年目のある日。「経理をやっていれば、どんな企業でも潰しがきくのではないか」。ふと、経理の仕事が持つ応用性や普遍性に気付く。以後、勤務後に専門学校に通い、27歳で日商簿記検定2級を取得。3年目になると、周囲から認められる存在になった。4年目には、自信と貫禄を持って働けるまでになった。 ところが経理のスペシャリストとして、一段と成長を図りたいと思っていた矢先、想定外の事態に陥る。会社の玉突き人事のあおりで、総務、人事、経営企画と、畑違いの部署への異動が続いた。