クルスク州で攻撃のウクライナ軍、装甲車でロシア兵を踏みつぶす 「殺気」の表れか
手強い敵に勝つためには「憎しみ」が必要という教訓
一方、ストライカーの乗員が射撃しなかったのは、機関銃が不具合を起こしたか、弾切れだったためかもしれない。あるいは別の可能性もある。乗員がロシア兵を轢き殺そうとしたのは、たんに血に飢えていたからだったのかもしれない。 もし後者なら、数千両の車両を保有するウクライナ軍において、少なくとも1両の車両の乗員は高い士気と戦闘意志を持っているという重要なしるしだろう。敵を憎み、殺したいという強い気持ちは、若い軍隊がより確立された軍隊に勝利するために必須の条件である。 こうした憎しみは培うのが難しい。それは時間と、痛みをともなう経験によってもたらされる。米国の歴史家リック・アトキンソンが名著『An Army At Dawn(仮訳:夜明けの軍隊)』で書いているところによれば、1942年、まだ経験の浅かった米陸軍が初めて北アフリカに派遣され、すでに戦争で鍛えられていたナチ・ドイツ軍との戦いに臨んだとき、多くの米兵の間で憎しみがなかったことが、当初のかんばしくない結果につながったという。 北アフリカ戦線で米軍を率いた伝説的な将軍ジョージ・パットンは「汗をかき、怒り、考えることが同時に」できる将校が必要だと不満をあらわにした。彼はさらに「ドイツ人に対する十分な憎しみを持った兵士」も必要としていたと、アトキンソンは記している。 83年前、その憎しみを米兵たちに覚えさせるにはアフリカの砂漠での苦い敗北が必要だったが、最終的に彼らはそれを抱くようになった。ウクライナ兵たちの場合、外国の攻撃者に対する不可欠な憎しみを内面化するのはもっと早かったかもしれない。彼らの多くはつい3年前には民間人で、2022年2月のロシアによる全面侵攻後に入隊している。 もしウクライナ軍に無防備なロシア兵をわざわざ轢き殺そうとするほど殺気立った車両乗員がいるのだとすれば、それは、こうした憎しみがウクライナ兵に深く根づいていることの表れかもしれない。
David Axe