ウクライナが外交交渉路線に転換した胸の内、2024年夏から始まっていた停戦に向けた模索
こうした情勢を受け「暗黙の戦略」は以下のようになっていた。クリミア半島の奪還を急ぐ一方で、都市数も多く、制圧には大きな困難や犠牲を伴う東部ドンバス地方(ドネツク、ルハンスク両州)の武力奪還は実質的に断念して、クリミア半島制圧後に外交交渉でロシア軍に撤退を迫る――というものだった。 つまり、対外的に明言をしてはいなかったものの、事実上「全占領地武力奪還」を断念していたのだ。 この「暗黙の戦略」に沿って、実はウクライナ軍はクリミア半島に対し、大掛かりな攻撃を計画していた。
この攻撃計画については、2024年7月30日公開の〈「クリミア上陸作戦」で停戦交渉狙うウクライナ〉で、筆者が「8月以降、ウクライナが仕掛ける勝負」として、クリミア半島がターゲットであり、ウクライナ軍のシルスキー総司令官が2024年7月末、イギリス紙との会見でクリミア奪還に向けた「現実的な計画がある」とまで言い切った、と記述していた。 つまり、クリミア制圧で戦争の主導権を回復したうえで、ウクライナがロシアに停戦交渉を呼び掛けるというのが「暗黙の戦略」だったのだ。
ゼレンスキー大統領がこの時期、ウクライナの和平案を協議する世界平和サミットの第2回会合を2024年11月にロシアも招待して開催すると発表した背景には、このサミットで停戦交渉を呼び掛けるという思惑があった。 しかし、実際には世界平和サミットの第2回会合は結局開催されず、「クリミアの武力奪還は無理」との12月1日のゼレンスキー発言につながった。 なぜこうなったのか。ウクライナ戦争に詳しい軍事筋によると、トランプ政権が再登場するという外的要因以外に大きな軍事的要因があった。
2024年夏にひそかに着手されたクリミア半島への初期的攻撃作戦が結局、失敗に終わり、目指していた大規模な制圧作戦を開始できなかったことが影響したのだ。 ■大規模な制圧作戦を始められなかったウクライナ ウクライナ軍はこの失敗を発表しておらず、詳細は不明だが、この失敗が結果的に今回の「クリミア奪還は無理」というゼレンスキー発言につながったのだという。 ウクライナ軍は2024年8月初め、ロシア西部の国境に面したクルスク州への越境攻撃を行い、現在も一部の占領を続けている。しかし、当初はこのクリミア攻撃こそが最重要な攻撃で、クルスクへの攻撃は補助的攻撃作戦になるはずだったと軍事筋は明かす。