篠田三郎「『ウルトラマンタロウ』光太郎役へ起用されたその理由。市川雷蔵や勝新太郎と共演できたことは、大映時代の大きな財産」
大映の永田社長は大言壮語で鳴らした人で、愛称は「ラッパ」。『羅生門』『雨月物語』『地獄門』などが世界的に評価を受け、映画界の父と言われた。そのラッパ社長の眼鏡に適った篠田さん。 ――いやぁ、水着になれとかカメラの前で笑えとか言われて、多分ひどい笑い方をしたと思うんですけど、永田社長が僕を選んでくださったんですね。 入所が決まると養成期間が半年あって、一流の講師の方々の講義を受けました。それまでの自分は、学校から帰るとカバンを放り出して近くの公園で草野球とかして育ちましたから、養成所に入って初めて、仲間からの刺激で読書をしたり洋画も観るようになって。ですからこれが最初の転機かな、と思います。 高校のほうは、映画との両立は認められなくて、やむなく中退しました。 養成期間が終わって、最初に役がついたのは、森鴎外原作の『雁』という、池広一夫監督の作品で、酒屋の小僧の役(笑)。若尾文子さんが小沢栄太郎さん演じる高利貸しのお妾さんの役で、僕は小鳥の籠に蛇が絡まっているのを取ってあげる一瞬の出番なんですが、カチカチに緊張しましたね。若尾さんが思いを寄せる学生の役は、山本學さんでした。
『雁』は、その大映作品以前に豊田四郎監督により同じく大映が製作していて、お妾のお玉が高峰秀子、高利貸しの末造が東野英治郎、学生の岡田は芥川比呂志で、こちらは私も観ているが、この時は岡田自身が蛇を追い払ったような気がする。最初のヒット作は? ――『雁』の3、4年後に、関根恵子さん、のちの高橋惠子さんとコンビの純愛ものですね。『高校生心中 純愛』とか、この何本かでブレイクしたわけですが、その時は大映が斜陽になってきた時期だったんです。 しかし大映時代、市川雷蔵さんや勝新太郎さんと、ちらりとでもご一緒できたのはよかったです。お二人は時代劇が多いので撮影は主に京都なんですが、雷蔵さん主演の『陸軍中野学校』の時は東京だったのでご一緒できました。僕は兵士の一人として後ろのほうにいましたけど、目の前で演じる雷蔵さんは、やはり風格がありましたね。 勝さんとは『兵隊やくざ』でご一緒しました。撮影が朝の9時開始でも、お昼頃に勝さん、ベロベロに酔って車から引き出されてくるんです。休み時間には褌一丁で将棋を指したり、若い者と相撲を取ったりして、そんな姿にものすごいエネルギーを感じましたね。 勝さんには後にどこかの撮影所ですれ違った時、「お前頑張ってるな、最近」と声を掛けていただいて、覚えててくださったのが嬉しかったです。
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