「授業に専念させてやれ」日本財界の「黒幕」が鋭く指摘…安倍政権が教育改革を推し進めた本当のワケ
安倍元首相が国士と賞賛した葛西敬之が死の床についた。政界と密接に関わり、国鉄の民営化や晩年ではリニア事業の推進に心血を注ぎ、日本のインフラに貢献してきた。また、安倍を初めとする政治家たちと親交を深め、10年以上も中心となって日本を「事実上」動かしてきた。 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 本連載では、類まれなる愛国者であった葛西敬之の生涯を振り返り、日本を裏で操ってきたフィクサーの知られざる素顔を『国商』(森功著)から一部抜粋して紹介する。 『国商』連載第3回 『安倍晋三も頼りにした日本財界の黒幕・葛西敬之が静岡県川勝知事と真っ向から対立したワケ 』より続く
国語教師の父の影響
葛西を東京出身と紹介してきた報道も少なくないが、本人は1940年10月、兵庫県明石市に生まれた。 教育に対する葛西の強い思いは、明石中学の国語教師だった父親順夫の影響が大きいようだ。父の教えで幼い頃から漢文に接してきたという。しばしば史記を引いてものごとを語るのも、その一例であろう。07年2月22日の教育再生会議の第7回会合では、実父に触れてこう話している。 「私の父親は国語の教員でありました。生徒に教え、自分も勉強する。実にゆとりのある暮らしでしたが、最近の若い先生たちを見ると雑務が多すぎる。生徒に説明する資料づくりに追われて、土曜日や夏休みにも学校に出ています。それで、教育そのもののために考え、あるいは努力をする時間が少なくなっています。 一見すると、極めて現場の低次元の話のようですが、本当はそこを変えることがものすごく大切なのではないかと思います」
復活させた「教育再生会議」
小泉純一郎政権時代に北朝鮮の拉致問題で名を挙げた安倍は第一次政権発足にあたり、「美しい国づくり内閣」と命名した。 反面、肝心の経済政策については、小泉の敷いた規制緩和、構造改革のレールに乗っただけだ、とも揶揄された。小泉政権のあとを受け、郵政民営化を至上命題とされた安倍政権では、事実上、竹中平蔵の指名により総務大臣に閣僚経験のない菅義偉を抜擢した。 そこで菅はNHK改革を打ち出したが、それも不発に終わる。また組閣早々、内閣官房長官の塩崎恭久をはじめ、官房副長官の的場順三や下村博文、首相補佐官に根本匠や世耕弘成、さらに安倍の官房副長官と官房長官時代の秘書官だった井上義行を政務秘書官に抜擢し、「お友だち内閣」批判を浴びた。そこへ閣僚のスキャンダルが相次ぎ、安倍は持病の潰瘍性大腸炎を悪化させて内閣改造をした1ヵ月後の07年9月26日、政権を投げ出してしまう。 わずか1年の第一次安倍政権において、教育改革はいわば独自の政策といえたかもしれない。政権末期の混乱のさなかの07年9月12日に開かれた教育再生会議の「学校再生分科会」で、葛西はいたずらに教員を増やすことに反対した。 「子供の数も減っている今の状況において、より少ない精鋭でもって、より質の高い教育をしていく。それが非常に大事だと思うんですね。子供に向き合う時間を増やすとかいろいろ言っていますが、そういうことのためには先生の本職である授業に先生が専心できるような環境をつくってあげることのほうが大切ではないかなと思います」 葛西は現場の教員と教育委員会について、企業の取締役と社外取締役との関係に似ているという持論を展開した。とどのつまり社外取締役は企業の内情に通じているわけではない。したがって企業経営において社外取締役は細かい指示を出すのではなく、大きな方針を打ち出すだけにとどめるべきだという。教育現場に対しての教育委員会も同じだ、というのが葛西の理屈だ。またそれは警察と公安委員会の関係にも近いと話している。