まさかのプロテクト外…FA人的補償で移籍した大物(3)異例の43歳で他球団へ
ストーブリーグで大きな注目を集めているFA市場。FA補強は大きな戦力補強になり得る一方、人的補償が発生する場合には、選手の流出リスクが伴う。今年も西川龍馬の人的補償として日高暖己が広島東洋カープへ。山川穂高の人的補償として甲斐野央が埼玉西武ライオンズへ移籍した。 過去を振り返ると、実績豊富なベテランが選ばれ、他球団入りする事例も少なくない。そこで今回は、FA人的補償で移籍となった大物選手を紹介する。
工藤公康
・投打:左投左打 ・身長/体重:176cm/80kg ・生年月日:1963年5月5日 ・経歴:名古屋電気高 ・ドラフト:1981年ドラフト6位 2度のFA移籍を経て、読売ジャイアンツに入団した工藤公康。43歳を迎えた2006年オフに、人的補償で横浜ベイスターズに移籍した。 1981年ドラフト6位で西武ライオンズに入団すると、ルーキーイヤーから一軍デビュー。高卒4年目の1985年に最優秀防御率(2.76)に輝くなど、球界を代表する投手へと上り詰めた。 FA移籍した福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)でも、エースとして活躍。1999年には26試合(196回1/3)を投げ、11勝7敗、196奪三振、防御率2.38と傑出した数字でチームをリーグ優勝、日本一へと導き、自身は最優秀選手にも選出された。 2000年から巨人に活躍の場を移すと、移籍初年度から12勝をマーク。2004年から2年連続2桁勝利を挙げるなど、変わらぬ存在感を発揮した。 しかし、2006年は3勝どまり。当時43歳と大ベテランだったが、オフには門倉健の人的補償で、横浜ベイスターズへの移籍が発表。 横浜では加入初年度に7勝を記録。2009年には中継ぎで46試合に登板したが、若返りのチーム方針もあって同年限りで退団。最後は古巣の西武でプレーし、ユニフォームを脱いだ。
ベースボールチャンネル編集部