古希・関根勤が明かす″芸能界で生き残れた理由″とは…「夜の街より娘と遊ぶほうが楽しかっただけ」
「小さなころからテレビっ子で、今でもずっといち視聴者です。地上波のバラエティ番組は全部録画していて、一日4時間は観ていますね」 【画像】今でもキレッキレ! 関根勤が「カマキリ拳法」ポーズを披露…! 今年で芸歴50周年を迎える関根勤(70)は、自身を″プロ視聴者″だと表現した。 古希を迎えてもなお、テレビ番組出演からYouTubeへの動画投稿、舞台「カンコンキンシアター」では座長を務めるなど、関根は精力的に活動を続けている。しかも、これだけキャリアが長いのに悪い評判が一切聞こえてこない。いったいなぜ、このポジションを確立できたのか。 今年2月に『関根勤の嫌われない法則』(扶桑社)を上梓した関根を直撃した。 若手時代の苦い経験が「嫌われない」背景にあると関根は分析する。「ラビット関根」の名前でピン芸人として活動した20代。「カ~マ~キ~リ~」と奇声を上げながら両手をさばく「カマキリ拳法」でブレイクを果たすが、その「クドすぎる」芸風はお茶の間では不評だったという。 「若いころはインパクトを残そうと必死で、余裕がなかった。だからどんどんオーバーリアクションになっていったんです。もし当時SNSがあったら、『キモい』と炎上して、テレビのレギュラーを外されていたはずですよ(笑)」 事務所の後輩である小堺一機(68)と共に舞台に立つも、「カマキリ男」の印象が強すぎて、思うようにウケない日々が続く。伸び悩んでいた関根に、事務所の先輩の萩本欽一(82)は、こんな言葉をかけたという。 「欽ちゃんは、『100万円持っていたらそれをすべて振りかざす芸ではなくて、5万円だけ見せなさい』と言うんです。『懐にはまだ95万円ある、とお客さんに気付かせろ』と。最初は塩梅がわからず苦労しましたが、2ヵ月ほどで一歩引いて余裕のある視点に立てた。それからドカンとウケるようになりましたね」 関根の同期には明石家さんま(68)、島田紳助(67)らビッグネームが並ぶ。『笑っていいとも!』(フジテレビ系)では、29年にわたりタモリ(78)と共演した。大物と密に接することで、多くの学びを得たと振り返る。 「さんまさんとタモリさんに共通しているのは、常識人で誰に対してもフラットであること。それに、決して気取らなくて、相手を緊張させない天才なんです。仕事をする上でも凄く大切だと思います。 タモリさんは自慢話など一切せず、こちらの話をいつも面白がって聞いてくれます。さんまさんとはよくゴルフを一緒にするんですが、芸能界とは関係ない僕の友人を連れていってもおかまいなしでツッコミを入れまくる。ゴルフ場でも爆笑をとって帰っていくんです」 今でも根っこには「カマキリ男」を披露していた20代のころと変わらず、新しいものを吸収しようという気持ちがある。大御所と言われる年齢になっても番組をくまなくチェックし、面白いと感じた芸人の楽屋に自ら出向いて挨拶する。おごらず謙虚だからこそ「老害」とは無縁でいられるのだ。 「’21年のキングオブコントで『空気階段』が優勝したころから潮目が変わった。今のお笑いは『ツッコミ』がないんですよね。ストーリーの見せ方が上手くなって、わかりやすく突っ込む必要がなくなったんです。気持ち悪いと思われかねないボケを続ける『ランジャタイ』や、ギャル二人をキザ男が泳がせる『ぱーてぃーちゃん』みたいな新しいお笑いも大好きです」 関根のキャリアの特徴は、長い芸歴の中でスキャンダルが全くないことだ。 「スキャンダルがゼロなのは、そもそもそういう場に行かないから。酒が飲めないから、夜の街に行かないんです。あとは、単純にモテなかったからですね(笑)。付き合いで銀座に行っても、ホステスさんとの会話をYOUちゃん(59)や清水ミチコちゃん(64)と比較して、彼女たちとしゃべるほうが面白いと思っちゃう。夜の街よりも、娘の麻里(39)と遊ぶ時間のほうが何倍も楽しかった。だから仕事が終わるとすぐ家に帰っていました」 当の麻里は、父が嫌われない理由を「父が持つすべての感覚が、小学生男子(しかも低学年)だから」と明かしている。そのことを本人に問うと、満面の笑みを浮かべこう話すのだった。 「僕の中では中2くらいで止まっていると思っていたんですが、麻里はよく見ていますね(笑)。でも、だからこそ面白いことを求めてきたし、50年やっていても飽きがこない」 嫌われなさの根底には、お笑いへのピュアな愛が隠れていた。古希を迎えても、関根の心は小さなころと変わらぬテレビっ子のままだった。 『FRIDAY』2024年3月22日号より
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