「『虎に翼』にLGBTQ要素、いる?」性的マイノリティ表現に違和感を覚える人に言いたいこと。NHKのみならず、ドラマや映画で描かれることが増えてきたが
そして、それは何より当事者の方たちに失礼な態度なのではないだろうか。作り手が切実に向き合う気がなく、“トピックとして加える”感覚の先に、『バズ・ライトイヤー』のような、その設定がなくても成立する“触れただけの物語”が量産されてしまうのではないだろうか。 当事者性があることと作品としての素晴らしさは決してイコールではないが、「作り手が当事者なのかどうか」という疑問など湧かなくなるほどに、このようなテーマを扱う場合には、切実さが必要なのではないだろうか。
■NHKが取り上げることの重み “新鮮さ”も“切実さ”も併せ持っていた近年の例で言えば、『虎に翼』と同じく吉田恵里香の脚本によるNHKの夜ドラ『恋せぬふたり』(2022年)が、良いケースだった。 アセクシャル(恋愛感情を持たない人)を主人公に描かれた8話のドラマで、ギャラクシー賞など数多くの賞も受賞。主人公の切実さや、主人公がアセクシャルであることを知った周囲の登場人物たちの感情の動きが丁寧に描かれていた。
決して設定として“挿入”されたわけでもなく、押し付けがましいわけでもない。ドラマとして面白く見られながら、アセクシャルという存在への認識も深まる、絶妙なバランスの作品だった。 素晴らしい物語が社会性を持っていることはよくある。だが、その逆は必ずしもそうではない。社会性があっても面白くない物語はたくさん存在する。そのバランス感覚は作り手の才能に委ねられるだろう。朝ドラ『虎に翼』も、この絶妙なバランスの感覚の上に作られている珠玉の作品だと考えている。
一方で、受け手によっても受け取り方が違ってきてしまうのは当然のことでもある。NHK、さらには視聴者の数や層も広がる朝ドラの枠で放送される以上は、作り手のバランス感覚がより必要になってくる。公共放送であるNHKが取り上げることの重みや、それによって纏う“正しさ”も、反発の一因になるだろう。 もちろん、ドラマに限らず、社会の中でマイノリティとして生きている人びとにスポットライトを当てるのは公共放送の担うべき役割であり意義だ。だが、ドラマという物語の中で浮いていたり、“押し付け”が強すぎたりしても視聴者は反発する。