小林邦昭さんのテンカウントゴングセレモニーを実施 新日本プロレスが11日・仙台大会で
初代タイガーマスクのライバルで「虎ハンター」の異名で活躍した元プロレスラー、小林邦昭さんが9日に死去したことを新日本プロレスが10日、発表した。68歳。長野県出身。新日本は小林さんをしのび、追悼の意を込めて11日・仙台サンプラザホール大会で、10カウントゴングセレモニーを実施することも発表した。セレモニーは大会開始前の午後6時15分から行う。 小林さんは72年入門。73年、栗栖正伸を相手にプロデビューした。メキシコ武者修行を経て82年10月に赤いパンタロンコスチュームで凱旋帰国し、タイガーとの抗争を開始。マスクはぎで「虎ハンター」として脚光を浴びた。 84年9月には長州力、マサ斎藤、キラー・カーン、アニマル浜口らと新日本を離脱してジャパンプロレス所属となり、全日本プロレスに参戦。2代目タイガーマスク(三沢光晴さん)とも抗争を繰り広げた。86年11月にはヒロ斎藤を破って第2代世界ジュニアヘビー級王者となった。 87年4月、新日本に復帰し、8月に王座決定トーナメントで高田伸彦(現高田延彦)を下して第4代IWGPジュニアヘビー級王者となった。 89年4月24日、プロレス初の東京ドーム大会では獣神ライガー(現獣神サンダー・ライガー)のデビュー戦で相手を務めた。91年12月には新日本と誠心会館との抗争が勃発し、齋藤彰俊、青柳誠司と異種格闘技戦を行った。これがきっかけで越中詩郎らと反選手会同盟(後の平成維震軍)を結成した。 2000年4月21日・後楽園ホール大会のでライガー戦で引退。その後は道場の管理人として後進の育成にあたる他、IWGP実行委員などで活躍。単発で試合にも出場し、イベントに出演するなど、プロレスの発展・普及に尽力した。 1992年7月には大腸がんが発覚。約半年の休養期間を経て93年2月にリング復帰したが、99年にがんが肝臓に転移して肝臓の切除手術を受けていた。 新日本では「謹んで、小林邦昭さんのご冥福をお祈りいたします」としている。