第93回選抜高校野球 18年前の夢、後輩につなぐ 京都国際前身、当時の主将がエール /京都
<センバツ2021> ◇03年京都大会ベスト8 3月開幕のセンバツ出場が決まり、春夏通じて初めて甲子園の土を踏む京都国際。前身の京都韓国学園で野球部が創部された1999年当時は初の公式戦で大敗を喫するなど、甲子園は夢の世界だったが、夢が現実になりかけた時がある。2003年夏の京都大会でのベスト8進出だ。当時、主将を務めた李良剛(イヤンガン)さん(35)=東京都品川区=は「夢の舞台だった甲子園が現実味を帯びた」と振り返る。【中島怜子】 李さんが京都韓国学園への進学を決めたのは、大阪で軟式野球の選手として活躍していた中学3年の時。当時の野球部は創部2年目で、公式戦の勝利はゼロ。「何か歴史を作ってやろう」と決意した。入部後は仲間と寮生活を送りながら、「まずは1勝」とひたむきに練習した。 成果はすぐ現れる。01年夏の京都大会の初戦で公式戦初勝利。学校中が歓喜に包まれた。2年生になるとグラウンドに照明が設置され、夜も練習できるようになった。「うれしくて1日2000本、素振りをした。自分たちが日本で一番練習しているんだ、という自信も欲しくて」。02年夏の京都大会でも初戦を突破するなど、着実に力を付けていった。 最後の夏となった03年。京都大会の組み合わせ抽選会で主将としてくじを引くと、書かれていたのは「1番」。開会式での選手宣誓の大役が決まった瞬間だった。対戦相手は、当時の強豪だった北嵯峨。「お前、くじ運、悪いな」と仲間から声をかけられる中、心の中では「どうしよう」と感じていた。 開会式、日本語と韓国語を織り交ぜて堂々と選手宣誓すると、初戦は先制点を奪取した勢いに乗って勝利。その後も快進撃を続け、迎えた準々決勝、対戦相手は古豪・平安(現龍谷大平安)。1―4で敗れたが、反撃の1点は李さんが放った二塁打で挙げたものだった。「出せるものは全部、出し切った」。ベスト8に終わった最後の夏に、後悔は残らなかった。 「寮生活ということもあり、仲間同士の絆は強かった。それがチームの強みだった」。李さんが振り返る。「初めての甲子園に怖い物は何も無いと思う。自分たちの野球を貫いて」。ベスト8から18年後、夢を現実にした後輩へエールを送った李さんは、学校に残されていた当時のアルバムを、懐かしくめくった。 〔京都版〕