祖国へ帰る人、日本に残る人――ウクライナ避難民それぞれの思い。いまできる支援とは?
帰国は正解ではない。でも子どもたちの心も尊重したい
――2人の息子さんは避難に伴う環境の変化をどう受け止めているのでしょう? ハンナ:私にとって最も難しい課題は息子たちのことでした。イギリスの学校も1週間で登校拒否。日本でも学校に入学し、同級生たちは親切にいろいろ話しかけてくれるので楽しく一緒に遊ぶのですが、言葉の問題で自分の思いを伝えられないのがストレスになっているようでした。 また、日本の学校とウクライナのオンライン学習、両方の宿題をしなければならず、勉強量が多いのも負担になっているようで、自宅でスマホをいじりながら過ごす時間が増えてしまって……。 日々「帰りたい、ウクライナの友達と遊びたい」と言うので、「今ウクライナに帰るのは危険だから」と何度も説得したのですが、これ以上息子たちに我慢させるのは難しいところまで来てしまい、帰国することを決断しました。 日本政府は5年間のビザをくれていますし、佐賀での暮らしは快適でサポートも大きい。ウクライナに帰るのは理性的な判断だとは言えない、と今でも思っているほど、とても複雑で難しい選択でした。 ――戦争が長期化し、「避難」から「定住」にフェーズが変わったからこそ、直面した課題だとも言えますね。 ハンナ:もし息子たちがもっと小さければ、日本に残って生活の基盤を築くことを考えたでしょう。しかし今の年齢で定住を考えるならコミュニケーション力が重要になるので、今後3~5年は日本語を集中的に身につけなければ、日本での将来が成り立たなくなると考えられます。 長男は現在ウクライナの6年生ですが、非常に優秀で、全ての教科で良い評価をもらっています。彼が勉学に努力する姿を見ていると、他の教科に割く時間を減らして日本語学習に打ち込む数年間を過ごすことは果たして彼のためなのか、と本当に悩んでしまって。 ――帰国という決断をした今、ハンナさんご自身はどういう心境ですか? ハンナ:今回の選択は息子たちのためだけではなく、私の将来のためでもあるのだ、と思っています。 日本に避難してからというもの、何の不満もないサポートをいただいているのに、長らく気持ちが塞いでいました。軍に入隊したり、ボランティアとして後方支援をしたりして国に貢献している友人らのことを思うと、安全な場所にいる自分が祖国を裏切っているかのように思えたんです。 ですから、息子たちと帰国について話す中で、これからに向けたひらめきを得ることができました。 例えば次男は「将来は警察官か兵隊になって僕が家族を守ってあげる」と言います。長男は建築家志望で、これまでイギリスやポーランド、日本の建築に触れたことで「ウクライナの建築分野に足りていない部分が見えてきたから、戦争が終わったらこれまでよりいい建物を建てたい」と話します。 彼らの話を聞いていて、私たちの国を自分たちの手で良くしていくために何ができるのか、と前を向けるようになったんです。 ――最後に、日本に暮らす人たちにメッセージをいただけますか。 ハンナ:他者に同情でき、何か手伝おうとする気持ちが強い日本の皆さんのおかげで、佐賀では自分の家かのように安心して過ごすことができました。日本は戦争をしないと決めている素晴らしい国なので、これからも自国の平和を大切に暮らしていってほしいです。