志村けんさん死去 新型コロナ感染 芸能界の巨星墜つ
志村けん(本名・志村康徳)さん(享年70)が29日に死去したことがわかった。30日、マスコミ各社が報じている。
新型コロナに感染、厳しかった闘病
志村さんは新型コロナウイルスの検査で陽性と診断され、都内病院で入院・闘病を続けていた。3月17日に倦怠感の症状があったため自宅療養し、19日には発熱と呼吸困難の症状が出たため、20日に訪問診察をした医師の判断で都内病院に搬送されそのまま入院。その後、23日には新型コロナウイルスの検査で陽性と診断された。 「重度の肺炎ということで入院してまもなく新型コロナウイルスに感染していることが判明し、その後、感染症の専門医と設備がある病院に転院して人工心肺の装置をつけて治療を続けていたようです。面会謝絶で意識も混濁しているような厳しい状況が続いていたと聞いています」(スポーツ紙50代男性記者)
24歳で正式にドリフメンバーに スターダムへ駆け上る
志村さんは1950年東京都北多摩郡東村山町(現・東京都東村山市)の出身。中学生の頃からお笑いの道を目指し、1968年の高校卒業間際にいかりや長介さんのもとへ弟子入りを志願。その後、紆余曲折あるも1973年12月に見習い扱いでザ・ドリフターズ加入を果たす。翌74年3月末をもって荒井注さんが脱退、当時24歳だった志村さんは4月1日に正式にドリフのメンバーとなった。 ドリフの番組「8時だョ!全員集合」(TBS系)の「少年少女合唱隊」のコーナーで「東村山音頭」を歌い一躍ブレーク、地元・東村山市の知名度向上にも貢献した。1985年に「全員集合」が終了すると、翌年には加藤茶との「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系)がスタート。その後、初の冠番組「志村けんの失礼しまぁーす」(日本テレビ系)、「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)、「志村けんのバカ殿様」(フジテレビ系)などヒットを連発し、日本の芸能界になくてはならない存在となった。 (文・志和浩司)