【Playback箱根駅伝】第35回/中大が6連覇への第1歩 日大は復路制すも及ばず 埼玉大が初出場
2024年に箱根駅伝は第100回大会を迎える。記念すべき100回に向けて、これまでの歴史を改めて振り返る『Playback箱根駅伝』を企画。第1回大会から第99回大会まで、大会の様子を刻んでいく。(所属などは当時のもの) 第35回箱根駅伝総合成績をチェック
第35回(1959年/昭和34年) 中大 1区から逃げ切りの大会新V 慶大が復帰、埼玉大は初 史上最多16校で実施
前年に行われた予選会では上位5校に出場権が与えられることになっていたが、6位の埼玉大も予選会におけるタイムが良かったため、特例で出場することになった。また、しばらく箱根駅伝への出場を取り止めていた慶大も9年ぶりの出場を果たしている。 2年連続で2位に終わっていた中大は1年生を7人起用。周囲から「無謀すぎる」との声も出たが、西内文夫監督は「学年に関係なく強いものを起用する」と信念を押し通した。 その結果、12時間1分23秒の大会新記録で3年ぶり8回目の総合優勝。3連覇を狙った日大に勝利し、この年から始まる6連覇への礎となる大会だった。 中大は1区からレースの主導権を握る。1年生の栗原正視が区間賞を獲得して、日大の主力である愛敬実を1分10秒も引き離す最高のスタート。3区でもルーキーの横溝三郎が1956年のメルボルン五輪でマラソン5位の日大・川島義明を区間2位の走りで引き離した。 1区から一度も首位を許さなかった中大が3年ぶりの往路優勝。ライバルの日大に5分28秒差をつけた。 復路の中大は全員初出場、4人が1年生という布陣。8区の南館正行は区間賞を獲得したが、7区と9区で日大の反撃に遭い、9区を終えた時点で日大とは2分28秒差と予断を許さない状況となった。 10区を任されたのも1年生の奥宮和文。日大の主将・横山和五郎に途中で1分50秒差まで追い詰められたが、最後は粘って再び突き放す。最終的には2分22秒差をつけて歓喜のゴールに飛び込んだ。 健闘したのが東教大。1区で12位と出遅れたが、3年連続で山を上ったエースの長田正幸が区間新記録を出して3位に上がる。復路でも順位を守って2年連続の3位となった。 埼玉大は14位に終わったが、1区の松村敏男が中大の栗原と22秒差の区間2位と好走。これが現在に至るまで、埼玉大唯一の本戦出場となっている。 参考文献:箱根駅伝90回記念誌(関東学生連盟)
月陸編集部