”松坂世代”監督が率いる掛川西(静岡)の特別な想い、自身もチームも「あの’98年」以来の聖地【2024甲子園豆知識】
阪神甲子園球場100周年となる今年の「夏の甲子園」、第106回全国高校野球選手権は7日に開幕を迎える。これまで選手の熱い戦いのドラマを数々生み出してきたが、「ドラマ」は選手だけとは限らない。今大会に出場する監督のなかにも、特別な思いで甲子園のベンチに入る監督もいる。 【一覧】24年夏の甲子園49代表 掛川西は激戦区の静岡県を制し、26年ぶりに夏の甲子園出場を果たす。静岡大会決勝後、選手たちに胴上げされた大石 卓哉監督は、6度宙に舞った。大石監督が選手時代につけていた背番号「6」にちなんだ回数だった。掛川西の背番号「6」をつけた大石内野手が甲子園の舞台でプレーしたのは、掛川西が前回甲子園に出場した26年前のことだった。 主将として甲子園に乗り込んだが、残念ながら初戦で敗退。その借りを今度は監督として返す機会を得ることができた。選手以上に、勝利への執念を燃やしている。 大石監督は、静岡高校時代に副部長、部長として甲子園を経験した。その時、静岡高校の監督だった栗林 俊輔さんが、今度は掛川西の父母会長として大石監督をサポートする役に回っている。栗林さんの長男・栗林 毅知捕手(3年)がメンバーに入っていることもあって、2人が再び「タッグ」を組むことになった。静岡高校時代は監督と部長だった2人は、掛川西では監督と父母会長という不思議な縁でナインを支える役目を果たす。静岡高校時代の4年間で春夏合わせて5度甲子園を経験した「コンビ」が、今度は掛川西を引っ張っていくことになる。 大石監督が掛川西の選手として出場したのは、1998年夏の甲子園。松坂 大輔投手(元西武など)を擁する横浜(神奈川)が春夏連覇を達成するなど「松坂世代」が活躍した大会だった。あれから26年。「松坂世代」の1人が、静岡県代表の監督として100周年を迎える甲子園で念願の勝利を狙う。