いつか死んでいくすべての人が避けられない大問題…私たちが「この世」からいなくなるとはどういうことか
「虚無」という怪物
人間は巨大な虚無に取り囲まれている、虚無という果てしない海の上に浮かぶ小さな船のようなものだということが言われている。この人間を取り囲む「虚無」こそが、人間の条件であり、その上に人間の生は成り立っている。したがってそれとの関係を無視しては、人間とは何かということを理解することができないと三木は主張する。 それでは三木清はいわゆる虚無主義者であったか、つまりこの世界に存在する意味や生きる目的を認めなかったかというと、そうではない。三木の一年後輩であり、親しい友人であった谷川徹三が、三木没後に発表した「三木清」という文章のなかで、「人生の底の虚無に絶えず脅やかされながら、人生には何もないのではない、何かがあるのだ、ということを絶えず自分自身にたしかめないではいられない存在」であった、そういう意味で「メタフィジシァン」(metaphysician, 形而上学者)であったということを語っている。 とくに死の問題を考えたとき、私たちは自らの存在の不確かさを、そしてその根底にある無限の深淵を思わざるをえない。しかしメタフィジシァン、あるいは哲学者というのは、その虚無が言わば底なしの虚無ではなく、そこに何かがあるに違いないと考えずにはいられない人のことだという谷川の洞察は、たいへんおもしろい。実際、三木という人物、三木という哲学者をよくとらえたことばであるように思われる。三木の思索には、つねにこの「虚無」の影がつきまとっていたが、他方、その背後に何かがあるはずだと考え、格闘しつづけた人でもあった。 さらに連載記事〈あまりに難しすぎて多くの人が挫折した…日本人が書いた初めての哲学書「善の研究」が生まれた「驚きの事情」〉では、日本哲学のことをより深く知るための重要ポイントを紹介しています。
藤田正勝