「命の重さはみんな同じはずなのに、この世界はフェアにはできていない」帰国した大阪の看護師、ガザの病院の過酷さを涙ながらに報告
11月17日、日本記者クラブで日本赤十字社の職員によるガザ報告会見が行われました。登壇した看護師・川瀨佐知子さん(大阪赤十字病院所属)は、ガザにあるアルクッズ病院に7月から派遣され、看護手順の実践指導などを行っていましたが、イスラエル軍の攻撃激化によって11月5日に帰国しました。ガザ地区は高い塀に囲まれていて、攻撃の激しさや内部の窮状は伝えられこそすれ、その情報はごく限定的です。それだけに、実際に現地で体験した川瀨さんの言葉は重く胸に迫るものでした。 【画像を見る】衝突前のガザ市内の様子…そして衝突後 病院や救急車が攻撃で被害に
「ガザまで来てくれてありがとうと」衝突前には市民らとのふれあいに癒やされる
川瀨さんが会見でまず示したのは、10月7日以前のガザの様子でした。 (川瀨佐知子さん)「高いビルもあり、緑も公園もあり、もともと子どもがたくさんいるので本当ににぎやかで、街中は人であふれて。馬車が走っていたり、ヤギが道を遮ったり、野菜が売られていたり。そのような光景がいろんなところで見受けられていました」 ガザの人たちとのふれあいにも癒されていたそうです。 (川瀨佐知子さん)「街を歩いていると、どこから来たの?ってよく聞かれるんですよ。日本から来ましたって言うとすごく喜んでくださって。遠いところからガザまで来てくれてありがとう、支援しに来てくれてありがとうといつも皆さんが言ってくださって。全然知らないようなところでもパンをくださったり、お菓子をくださったり。本当に優しい方々という印象です」 アルクッズ病院での医療支援もやりがいがあり、当時のことを語る川瀨さんの声は明るく弾んでいました。 (川瀨佐知子さん)「10人くらいのコアメンバーはとてもモチベーションが高く、(病院スタッフに対する)継続教育が自分たちの課題だと考えて、積極的に話し合っていました。9月に(医療教育の)6回目のワークショップが終わって、10月になったらみんなで打ち上げしようねって言ってたんですよね」
「自分の知らない街に変わってしまった」病院の周辺10mあたりで爆撃との連絡も
そんな充実した日々が一転したのが10月7日でした。 (川瀨佐知子さん)「これまでの衝突は事前に通知がありました。10月7日に関しては何の前触れもなく、突然始まりました。ガザの街並みは一変してしまって、自分の知らない街に変わってしまいました」 その後は赤十字国際委員会の指示でシェルターのある宿舎に移動して経過を見守ることになりました。アルクッズ病院に留まっている看護部長からは「僕らはこんな状況には慣れているから、大丈夫」というメッセージが来ましたが、状況は悪化の一途で、病院の周辺10mあたりで爆撃を受けているという連絡が病院スタッフから川瀨さんのもとへもありました。 10月13日には北部全体が攻撃対象になるという通知があり、全員が南部に移動せざるを得ない状況になりました。川瀨さんは南部のラファに退避しましたが、アルクッズ病院には10月29日時点でも400人の入院患者と、周辺に1万4000人の避難民がいました。川瀨さんは看護部長に避難してほしいと伝えましたが、「スタッフと患者を置いて自分は逃げれない。患者さんと避難民を守る義務がある」といって指揮を執り続けたそうです。