広島の37年ぶり連覇の裏に黒田遺産
学んだのは準備の大切さである。 データを綿密に調べること。黒田氏は、よくメモをとった。若手も、その姿勢を見ていた。スコアラーが出すデータだけでなく、直接対決して感じた相手バッターの傾向をメモに残して研究するという習慣が生まれた。そして黒田氏が、口をすっぱく言ったのが配球の基本だ。 「ファーストストライクからストライクゾーンの隅を狙うな」 黒田氏はマウンドで失敗を恐れて小さくなり自滅する若手に執拗にこう呼びかけた。 「ファーストストライクは大胆にとれ。内外のコースを狙うのは、カウントが整ってからだ」 そして世界でも有数のツーシームの使い手である黒田氏は、ボールを動かすことによって有効になる内角球の使い方も身をもって教えた。黒田チルドレンのほとんどが、ツーシーム、或いは内角球を積極的に配球に組み込む。「逃げない」ピッチングである。投球の幅が広がると同時に勝つピッチングに変わった。結果が出ると、それがさらなる自信につながった。 昨年、沢村賞を争い、本来ならローテーションの軸となるべきジョンソンが故障などもあり6勝と不振、16勝した野村も9勝止まりだが、黒田イズムの薫陶を受けた若手たちが、黒田の穴を埋めるだけでなく、野村、ジョンソンの“落ちた分”までカバーした。 ブルペン陣には、競争意識があった。 ストッパーの中崎が開幕直後に腰を痛めて離脱したことで、やりくりを余儀なくされたベンチは調子のいいピッチャーから使うことになる。そこで抜擢を受けた今村が、かつての輝きを取り戻す。中崎が復帰しても、今村はしばらく抑えのポジションをキープしていた。彼らもまた黒田氏に「競争意識を持て!」と言われ続けていた。 昨年の日本シリーズ。第7戦に先発予定だった黒田は、結果的に最後のマウンドに立つことはできずにユニホームを脱ぐことになった。 その際、「来年は、ぜひ連覇して日本一になってほしい」とメッセージを残した。 そのメッセージは若手に“黒田遺産”となって息づき、連覇につながったのである。 次は、黒田氏が果たせなかった日本一の夢を果たす番である。 (文責・駒沢悟/スポーツライター)