傷ついた被災地の子どもたちが一瞬で笑顔になった「ピカチュウ」の力 社員有志が不安を抱えて始めた「息の長い支援」、形を変えて今も続く
その年の12月、被災地支援の拠点となる「ポケモンセンタートウホク」(仙台市)がオープン。グッズ販売などの収益は当時、すべて被災地の子どもちへの支援活動に充てられた。活動名はポケモンが寄り添っていることを示す「ポケモン・ウィズ・ユー」との名称に。ポケモンを描いたワゴン車を使って岩手、宮城、福島の3県を回り、各地で上映会や夏祭りなどのイベントを行った。あしなが育英会と連携し、心のケアにも取り組んだ。 ▽誰もがつらいことを忘れられた 「子どもが、喜んで喜んで。私も感激しちゃったんだけど。もう、みんなで触ってねえ」 宮城県石巻市の日野玲子さん(63)が目を細めて、写真を眺めて振り返った。 2011年11月と印字された写真。ピカチュウの前でピースサインで少し恥ずかしそうに納まる男の子は、当時8歳だった辺見佳祐さん(19)だ。宮城県石巻市で自動車工場を営む両親と、姉=当時(10)=を震災の津波で亡くした。仙台市に住んでいた伯母の日野さんが親代わりとなった。
日野さんは石巻市の自動車整備工場兼住宅に戻り、佳祐君を育てながら従業員と経営をやりくりしてきた。環境が大きく変わり、2人とも夢中で日々を送る中、あしなが育英会からイベントへの誘いが届いた。ピカチュウに会えるよ、と書いてあった。 家から少し離れた小学校の体育館で、親を失った約20人の子どもたちが、ピカチュウのお面を作ったり、絵を描いたり。「ちょうどポケモンのカードを集めていた頃でしたから。タイミングも良かったんですね」 イベントの途中で大きなピカチュウが会場に現れると、子どもたちは大はしゃぎ。ピカチュウに会えたことで大人たちも少しの間だけだが、つらいことを忘れられた。 みんなで撮った写真は、長く自宅リビングに飾っていた。「もう覚えていないや」と頭をかく佳祐さん。活動は子どもたちだけではなく、子どもたちを育てる親たちの救いの場にもなっていた。 災害時の小児医療に関わってきた医師の岬美穂さんによると、子どもの心のケアにとって一番大切なことは「非日常(=災害)の生活から日常をいかに早く取り戻すか」。災害など危機的な状況に直面した子どもたちは、突然パニックになったり、被災した場面の〝ごっこ遊び〟を繰り返したりするなど、さまざまな反応や行動を示すことがある。そういう状況でピカチュウが来ることの意味を、こう指摘する。