「記憶があるうちに自分も逝きたい」 妻を喪ってから一度も涙を流さなかった野村克也が思う「男の弱さ」
「このがらんどうの人生を、俺はいつまで生きるんだろう。俺はおまえのおかげで、悪くない人生だったよ...おまえは幸せだったか....?」 【漫画】「しすぎたらバカになるぞ」…性的虐待を受けた女性の「すべてが壊れた日」 生きている間に伝えたかった「ありがとう」をこの本で。名将・故野村克也さんが綴った、亡き妻・沙知代さんへの「愛惜の手記」。2人のかけがいのない思い出から「夫婦円満」の秘訣を紐解いていこう。 *本記事は『ありがとうを言えなくて』(野村克也著)を抜粋、編集したものです。 『ありがとうを言えなくて』連載第7回 『「沙知代の残像が今も消えない…」野村克也が受け入れられなかった、妻・沙知代の悲痛すぎる去り方』より続く
はじめていわれた「手を握って」
亡くなった日の朝、じつは、こんなことがあった。 明け方、沙知代が「手を握って」と言った。田園調布にある今の家に引っ越してきたとき、彼女がどこかで買ってきたゆうに三人は寝られるようなベッドの中でのことである。アメリカ映画に出てくるような、妻お気に入りのキングサイズベッドだ。 沙知代と付き合い始めてから50年近く経つが、そんなしおらしいセリフを言ったのは初めてのことだった。私たちは手をつないで歩いたことさえない。 昔、ある食器用洗剤のCMで、おじいちゃんとおばあちゃんが仲よく手をつないで散歩をしているシーンがあった。当時、銀座のクラブで会う若い女の子は、あれこそが理想の夫婦像だと話していたものだ。 そこへいくと、私たち夫婦はその「理想」からもっとも遠いところにいた。恥ずかしくなかったと言えば嘘になる。だが、女に恥をかかせるわけにはいかないので、言われた通り手を握ってやった。 驚いた。こんなに小さな手をしていたのか。そして、もうくしゅくしゅだった。沙知代が手に入れようとしていたものと、この手は、あまりにも不釣り合いに感じられた。 今にして思えば、あのとき沙知代は何かを予感していたのかもしれないし、単なる偶然だったのかもしれない。