センバツ2022 和歌山東 初舞台で歓喜の校歌 特別後援会会長・西山義美さん(65) /和歌山
◇創部に尽力、闘病も選手ら後押し 春夏通じて初めての甲子園となる今センバツで1回戦、倉敷工(岡山)を降し、初勝利を挙げた和歌山東。「歴史的1勝」をアルプススタンドで見届けた特別後援会会長の西山義美さん(65)は、「校歌が聴けるとは思っていなかった」と感極まった。2010年の硬式野球部創部に尽力し、ともに歩んできた12年は自身の病との闘いでもあった。 紀三井寺球場での応援で生徒の心を一つにしたい、学校をより良くしたい――。そんな思いで05年から創部に奔走した西山さん。PTA役員と教師が協力する形で、生徒とも向き合ってきた。 やっとたどり着いた創部だったが、その矢先、自身に胃がんが見つかった。1週間入院し、初の公式戦となった10年夏の選手権和歌山大会は「ふらふらの状態で観戦に行った」と振り返る。米原寿秀監督の下、着実に力をつけた部は13年夏の選手権和歌山大会で4強入り。「紀三井寺球場へ」という目標は、いつしか「甲子園へ」と変わっていった。 しかし、約6年前、今度は膵臓(すいぞう)がんが見つかった。「死ぬまで、甲子園の土は踏めやんのかな」。2カ月の入院、1年にわたる抗がん剤治療、手術――そんなとき、心の励みとなったのが部員や保護者らの励ましだった。「選手たちの『必ず甲子園に連れて行くから』という言葉に気力をもらった」と西山さん。毎週1回、夜には選手の保護者と集まっての食事会があった。「アホなことを言って、苦しみを忘れさせてくれた。ほんまに助けてもらった」。手術前には「目標があるんやから」と執刀医からも励まされた。 無事、手術は終わった。しかし、再発などの恐れが消えたわけではない。膵臓(すいぞう)がんの手術後の5年生存率は、他のがんと比べても、低いとされる。そんなときも部が常に西山さんの生活に寄り添っていた。「最後になるかも」と、県外の練習試合にまで観戦に足を運ぶ日々。保護者らには「まだ甲子園行ってないやん」と励まされた。 県大会での上位進出、近畿大会への出場も増え、手術が終わって5年。22年1月、支えてきて、支えてもらった部のセンバツ出場が決まった。「校歌が聴けたらいいけれど、負けてもいい」と控えめだった望みに対しては、延長戦の末の歓喜が待っていた。甲子園で選手たちの雄姿を目に焼き付けた。 しかし、2回戦で敗退したチームの歩みは、終わったわけではない。西山さんも次の目標を見定めた。「ほんまにようやった」としながら、「新入生を入れ、更に切磋琢磨(せっさたくま)してほしい。夏の和歌山大会に優勝し、また甲子園に戻ってきたい」。【橋本陵汰】