【独自】日大悪質タックル問題から6年…「スキャンダラスなことを見たいのは自身だった」激しくバッシングしたメディアへの思いは?内田正人元監督が激白(2)
■「履歴書が書けない」
大学生になってから始めたアメフト。その後は指導者として、ずっと関わってきた。この日、取材で訪れたのも、選手だった頃の先輩が営むお店。アメフト一筋で歩んできた人生が、突然奪われた。 内田:履歴書が書けないんですよ、怖くて。履歴書を出せば、住所や前職を書かなきゃいけない。今はネットで全部調べられますから、初めからレッテルがついてしまう。どこに行っても、全部知れ渡ってしまう。それがネックでした。 竹山:お仕事はされているんですか? 内田:ずっとしていなかったんですけど、今年の2月ぐらいから、ホテルの客室清掃です。 竹山:だいぶ違いますよね?前の生活とは。 内田:自分をリセットするためには、同じ生活環境・同じレベルのことをやりたくなかったんです。“日大の監督”“大学の常務である内田”の延長線でやっていると、絶対悔いが残るなと。自分で違うものを見て、アジアのいろいろなところから出てきて一生懸命働いている子たちを見ているほうが、僕にとってプラスだと思った。ちょうどいい、自分をリセットするための職場だと思ってます。
■違法薬物事件など不祥事が続いたアメフト部…「僕の責任でもある」
知り合いを頼り、ホテルの清掃員として動き出した内田氏。アメフトの指導に戻る気はないというが、悔いが残るのはやはり学生のこと。2023年に発覚した、アメフト部の違法薬物事件。学生寮から大麻や覚せい剤が見つかり、11人の部員らが摘発された。しかし、大学はすぐに警察へ通報していなかった。 内田:コーチ陣の薬物に関する危機感が少なかったと思うんですよ。そういう噂を聞いたら、ほぼやっていると思って対応しますよね。 竹山:内田さんが現役の監督だったらどうします? 内田:もう警察に行きます、その子を連れて。残った子も全員白黒つけます。なぜかというと、早い内に警察に行けば、警察はちゃんとやってくれるんですよ。ちゃんとペナルティを与えてもらって、大麻を止めるきっかけにもなるんです。カムバックするんだったらするで、そこでできたと思うんですよ。しかし、あそこでグズグズしたもんだから、次の年の7月まで大麻をやってしまったわけです。そこで止められなかったのは、本人にとって一番マイナスなことじゃないですか。そこで厳しく指導していれば、こんなことにならなかっただろうなと。 子どもに前科をつけた責任っていうのは僕にもあると思います。それがすごく心残りです。僕の責任でもあると思いますよ。 私が辞めた後、合宿所でお酒を飲んだり、タバコを吸ったり、夜にクラブに行くとかが多くなってきた。僕が監督の時代も、抜け出して飲みに行くとかは当然あったと思います。けれども、飲みに行って朝方帰って来ても、どんな状態でも次の日の練習は手を抜かさせないわけです。それは自分で責任を持って飲みに行く。 竹山:内田さんの時代は、学生たちを大人として扱っていたという感じですか? 内田:そうです。 竹山:それが後半、段々時代のズレもあったりとか、ちょっと自分の中で違ったかなという。 内田:そうです。 (『ABEMA Prime』より)