錦織はなぜ全米後に2連勝できたのか
昨晩くらいはゆっくり眠れただろうか。 テニスプレーヤーの生活は苛酷で、東京で楽天ジャパンオープンを制した錦織圭は、翌日から始まるマスターズシリーズのためすぐに上海へ向かった。このスケジュールでゆっくり眠るも何もないかもしれないが、せめて、全ての重圧や不安から解放されて、痛みすらも忘れた一夜であったならと思う。 この1週間、重圧に悩む素振りも見せなかった錦織だが、優勝を決めたあとの涙は、苦しみ抜いた証ではなかっただろうか。 「またひとつ壁を破ることができた、といううれしさがこみ上げてきた。ネガティブになるところをポジティブに変えて、自分に勝てたなというのがうれしかった」 前週のクアラルンプールでも優勝し、連戦の疲れは右臀部の痛みになって現れていた。それでもシーズン最終戦『ツアーファイナルズ』の出場枠を勝ち取るためにはポイントがほしい。日本中から寄せられた期待もある。破った壁は一つどころではなかっただろう。 グランドスラムで優勝した選手がその後ちょっとしたスランプに陥るケースは少なくない。最近では、たとえば全豪オープンで新チャンピオンとなったスタン・バブリンカの例があり、格下相手に負けが続いた。 「以前とはプレッシャーの種類がまったく違う。それにうまく対処できないんだ」と吐露した。グランドスラム・チャンピオンという肩書きにはとてつもない重圧がついてまわるのだ。 錦織はチャンピオンにはならなかったが、全米オープンの決勝に進出したというだけで日本におけるインパクトは、過去に自国にグランドスラム・チャンピオンを有したことのある国のそれとは比較にならなかったに違いない。優勝にも匹敵するものがあっただろう。 報道の過熱ぶりはすさまじく、テニスの話に止まらず、「金」「女」といったゴシップにまで及んでいて、錦織も相当参っているのではと心配したものだ。こういうところからマスコミとの摩擦が生まれるのも常で、昨年イギリス人として77年ぶりのウィンブルドン優勝を果たしたアンディ・マレーもかつてそういう経験をしたし、日本でも20代の頃の伊達公子がそうだった。 ところが錦織は“フィーバー”以降も変わらず、殻に閉じこもってもいないし、マスコミ嫌いになったようすもない。むしろ前より堂々としている。コートではテニスにのみ集中し、コートを離れれば錦織らしいおっとりした雰囲気も失っていない。 「僕も、グランドスラムで活躍した人はそのあと落ちるというイメージしかなかったです。そういう選手を見てきましたし。でも集中力を落とさず、気持ちを切り替えることができている」 マイペース、大雑把、無頓着。昔からそんなふうに言われていた性格の助けは大きいかもしれない。だが、それだけでは足りない。 「コーチが厳しいのがいいんだと思います」 錦織はそう付け足した。