社員12人中10人をリストラ「明日からどうすれば…」何人も涙を流した そこから復活した「高級トイレ」商社の3代目、恨まれなかった理由は
「株式会社さかもと」は現社長・坂本英典氏の祖父が創業して80年以上続く水回り設備の専門商社だ。現在は、漆加工をした高級洋式トイレ「BIDOCORO(ビドコロ)」で注目を浴びる。坂本氏は25歳で家業に入ったが、業績は右肩下がりで、借金は3億円もあった。そして、専務時代に社員12人中10人をリストラするという厳しい決断を迫られる。「どん底」からどのように復活したのか、坂本社長に聞いた。 【写真】漆塗りが施された「高級トイレ」の現品
◆大学卒業後、バルーンの飛び込み営業に
――株式会社さかもとの歴史を教えてください。 1936(昭和11)年に祖父が創業し、当初は鍋釜を売っていたと聞いています。 父の代になり、井戸ポンプを扱うようになりました。 それまでは手動のガチャポンプが使われていましたが、松下電器産業(現パナソニック)と代理店契約を結び、モーターポンプを宇都宮に普及させたのがさかもとの1つの転換期でした。 以来、住宅やビルの水回り設備機器を扱う商社となりました。 ――3代目として生まれ、会社を継ぐことをいつごろから意識しましたか? 子どものころは全然継ぐ気はありませんでした。 むしろ継ぎたくなかったんです。 多分、反抗していたのでしょう。 ――大学卒業後、大手機械商社の山善に入社されています。 工作機械や工具の営業をするのかと思いきや、新規事業のバルーン事業部に配属されました。 ヘリウムガス入りの子ども用の小さなバルーンもあれば、イベントや店内装飾用のバルーンもありました。 大阪の街を、自転車で駆け回って飛び込み営業していました。
◆「1個5円」の商売では社員を幸せにできない
――山善をいつ退職し、家業に入ったのですか。 実は、入社したときには3年で実家に帰ると自分で決めていました。 上司に対しても公言していました。 すると、上司や取引先から経営者になるためのいろんなアドバイスをいただけました。 25歳で山善を辞めてさかもとに入りました。 ――そのころのさかもとはどのような状況でしたか? 従業員が20人くらいで、年商が14~15億円だったと思います。 ところが、業績は厳しくなる一方でした。 当時のメイン商材はパイプやバルブといった配管資材でした。 社員が一生懸命にトラックで資材を運んでも、現場で職人から「違うじゃねえか、すぐ取りに帰れ!」と、パワハラどころではないような扱いを受けることもありました。 そんな社員たちに「ご苦労さん」と言って、給与で返せない。 価格競争が厳しい市場で大手の競合他社と戦い、1個運んで5円しか儲からないような商売をやっていて、「社員を幸せにできるはずはない」とずっと思っていました。