NHK大河「光る君へ」道長の「望月の歌」真意は?視聴者も深まる考察…まひろは旅に出る決意 第45回みどころ
女優の吉高由里子が主演するNHK大河ドラマ「光る君へ」の第45回「はばたき」が24日に放送される。 【写真】吉高由里子&南沙良の和装2ショット 大石静氏が脚本を手がけるオリジナル作品。大河ドラマではきわめて珍しい平安時代の貴族社会を舞台に、1000年の時を超えるベストセラー「源氏物語」の作者・紫式部/まひろの生涯に迫る。 17日に放送された第44回「望月の夜」では、三条天皇(木村達成)と道長(柄本佑)との攻防戦のすえ、帝は譲位し後一条天皇が即位。道長は摂政となるが、皇太后の彰子(見上愛)ら娘たち、公任(町田啓太)ら側近らからも反発を食らい孤立していく。摂政を嫡男・頼通(渡邊圭祐)に譲り、実の娘・威子(たけこ=佐月絵美)を後一条天皇の妻に立てる。立后の儀のあとに開かれた穏座(おんのざ)において、道長は有名な「望月の歌」を詠ずる―という展開が描かれた。 譲位を迫られた三条天皇が出した切り札は、帝の内親王と頼通の縁談。これを固辞する頼通に困惑した道長は、彰子に相談するも「帝も父上も女子(おなご)を道具のようにやったり取ったりされるが、女子の心をお考えになったことはあるのか」と直球で問いただす。 内裏で道長は、後一条天皇に代わって、もともと目指した「民のための政」を為(な)そうとするが、公卿には真意が伝わらない。左大臣職は辞さぬまま陣定(じんのさだめ)に出ようとする道長。本人の筋は通っているのかもしれないが、立法と行政が分立できていない事態。「端から見れば欲張りすぎだ。内裏の平安を思うなら左大臣をやめろ」と心を鬼にして進言する公任に「何度も先の帝に譲位を促したが、今度は俺がやめろと言われる番なのか…」と自らが置かれた立場を悟る。 左大臣どころか、摂政の職まで退くことを決めた道長。その決心を一番に告げたのは藤式部/まひろ(吉高)だった。「次の代、その次の代と、ひとりでなせなかったことも時を経ればなせるやもしれません。私はそれを念じております」。「そうか、ならばお前だけは念じていてくれ」。道長は誰にも明かせない本音を、まひろの前だけでは言える。 後一条天皇に強引に威子を入内させた道長。太皇太后(彰子)、皇太后(妍子=倉沢杏菜)、中宮(威子)と三代の帝の后の座を一家で独占することとなったが、倫子(黒木華)以外、誰も笑っていない。当事者の娘たちはもちろん、立后の儀、穏座に立ち合った公卿も、盃(さかずき)を交わしながらどこかぎこちない。歴史の授業で習った、栄華の象徴とされる「望月の歌」が繰り出される状況としてはどうにもミスマッチすぎて…。どう解釈すればいいのか、執筆中のいまこの瞬間さえも悩んでいる。 「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる事も 無しと思へば」。いわゆる「望月の歌」は実資の「小右記」にしか残されていないため、多くの研究者がさまざまに論じてきた。詠んだとおりに傲慢であったとか、「いい夜だね」ぐらいだったとか、諸説あるので気になる方は調べて欲しい。 ただ国文学的な解釈と、「光る君へ」における「望月の歌」でひとつ違いがあるとすれば、「光る君へ」の道長には傍らにまひろがいるということだ。道長が眺めた月に、若かったかつてのあの日、廃院で2人結ばれて眺めた月がカットバックする。「望月の歌」が恋の歌だとまでは言わないが、摂政を辞する時に告げた「お前だけは念じていてくれ」を歌に込めたのだろうか、と筆者はひとまず解釈することにした。みなさんのご意見も聞かせて欲しいです。 さて、道長が政の表舞台から遠ざかり始まる第45回。まひろの書く物語が終盤を迎えつつあるある日、娘・賢子(南沙良)から「宮仕えしたい」と相談を受ける。まひろは自分の代わりに彰子に仕えることを提案し、自らは長年の夢だった旅に出る決意を固める。道長から反対されたまひろは、ついに賢子にまつわる秘密を明かすことに。旅先でまひろを思わぬ再会が待ち受けていた一方で、道長は出家を決意する―という展開が描かれる。 「望月の歌」の解釈でこの1週間悩んでいた筆者にとって、今回のアバン(導入)は共感度100%というか…。なんともほほえましいので心穏やかに見てもらいたい。そしてまひろと道長の関係性にもひとつのヤマが訪れている。予告にも登場したが、お久しぶりのあの人も。「源氏物語」の先にも、物語は続いていく。(NHK担当・宮路美穂)
報知新聞社