『ふてほど』時代を生き抜いた…「タマゲました」井森美幸「視聴者を嫌な気分にしない」田中律子の底力
若い人たちの間で『ふてほど』と呼ばれ、大ヒットを飛ばしているドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)が話題になっているが、その人気の秘密は『昭和』にある。 【昭和のスーパーアイドル】すごい!マッチの住む”5億円”マンションから出てきた中森明菜 1986年、つまり昭和61年に生きる主人公が令和の時代にタイムスリップしてしまうドラマは、その頃を懐かしむオジサンたちだけでなく10代や20代の若者にも人気となっている。 また昭和の流行歌、いわゆる歌謡曲が今注目を浴びているが、それも若い人たちからだ。昭和の街並みや、生活模様を再現したテーマパークはどこも来場者が途絶えることがなく、賑わっているという。 そんな『昭和ブーム』にのって、昭和に活躍したタレントが再び脚光を浴びている。 井森美幸が1月3日に放送されたバラエティ番組『よそはよそ うちはうち タマげた実家グランプリ』(日本テレビ系)でテレビ出演本数よりもワイプで使われる宣材写真出演の方が多かったというエピソードを披露。そしてこう言い放ったのだ。 「タマゲました!」 これにネットでは、 《さすが昭和のバラエティタレント!タマゲたなんて久々に聞いた》 《井森にしか使えない言葉》 などと大ウケ。55歳になった現在もバラエティ番組に引っ張りだことなっている。 井森は昭和59年(’84年)、15歳のときに大手芸能プロダクション『ホリプロ』のオーディション企画、『ホリプロタレントスカウトキャラバン』で12万人の応募者の中からグランプリに輝いたエリート中のエリートタレントだ。翌年には事務所一押しのアイドル歌手としてレコードデビューもしている。 さらにデビュー2年目には、連続ドラマの主演に抜擢され女優の道へ。事務所の猛プッシュで将来は約束されたように見えたのだが、残念ながらアイドル歌手としては芽が出ることはなかった。そんな彼女が飛び込んだ新たな舞台が、バラエティ番組だった。 「いわゆる『バラドル』という言葉が生まれたのは’87年頃です。そのパイオニアとなったのが同じ事務所に所属していた後輩で、やはりタレントスカウトキャラバンでグランプリを獲得した山瀬まみさんでした。 アイドル歌手なのに芸人並みの三枚目的なトークで、タレント性を発揮するようになって、バラエティ番組の常連となりました。井森も、元々そんな才能があったようで山瀬を追うようにしてバラドルになったんです。今でも彼女と仲の良い森口博子や松本明子も最強のバラドルでしたね」(キー局プロデューサー) 井森と同じ時期に活躍していたタレントに田中律子がいる。52歳の田中は現在『路線バスで寄り道の旅』(テレビ朝日系)にナビゲーターとして出演。2月18日放送回のゲストだった俳優の岩城滉一が、幼馴染だったという歌手の五輪真弓のことを「暗くて苦手だった」というエピソードを披露すると、 「向こうも思ってますよ。岩城君、うるさかったって」 と、すかさずツっこみ関係者をヒヤヒヤさせた。今でこそ丸くなったが、岩城といえば芸能界屈指の強面で知られている。そんな彼にツッコミを入れることができるタレントはそうはいない。たじたじとなっていた岩城を見て、SNSでは大絶賛の声が。老舗芸能プロの幹部はこう語る。 「田中もアイドル歌手、モデル、女優として活躍していました。2人とも今のポッと出のタレントたちとは鍛え方が違う。今よりはるかに不適切だった時代の芸能界を生き抜いてきたわけですから、筋金入りのバラエティタレントです。空気を読むのもうまいしトークも巧みです。 そのトークには一瞬失礼に感じるかもしれない危険性を含みながら、決して相手や視聴者を嫌な気分にさせない絶妙さが隠れています。長年培ったスキルと言っていいでしょう。だからスタッフも視聴者も安心して見ていられるのです」 彼女たちが求められるのは、決して『昭和』が懐かしまれているわけではなく、時代を超えても変わらないタレント性があるからなのだろう。
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