吉高由里子の“己を曲げない強さ”が『光る君へ』の根幹に まひろと道長の物語が再び始まる
「己の心に従わなかった」ことを10年後悔したまひろ(吉高由里子)
この、「己を曲げて誰かと寄り添うことがいとおしいということ」という言葉について考える。例えば、まひろが道長をいとおしいと思うあまり当初は否定したにも関わらず「妾でもいいから傍にいたい」と思ったこと。それは「己を曲げて寄り添」おうとしたと言えるだろう。 でも結局はその道を選ばず、彼女は「己を曲げなかった」。でもそれは同時に「己の心に従わなかった」ことをその後10年後悔させるものでもあった。夫・宣孝に対する思いは、道長に対する思いとは少し違うものの、まひろの表情の変化を見るにつけ、「いとおしいと思う気持ち」自体は存在しているのだろう。とはいえ宣孝は「ありのままのお前をまるごと引き受ける」と言ったではないか。「不実な女」であるまひろを。とはいえ「あいこである」はずの「不実」さを一方的に攻め立てるわけにもいかずと、己が己でなくなる恋や愛というものの複雑さについて考えあぐねているところで、思わぬ石山寺での道長との再会である。 鳥のように自由に生きてきたまひろには、結婚しようと何をしようと、己を曲げずに生き抜いてほしい。ちやはや、いとの言葉が、千年変わらない、幸せな結婚生活のための的確なアドバイスだからといって、まひろには変わらないでいてほしい。だから私は、終わったはずのまひろと道長、2人の物語が、また始まろうとしていることが楽しみでならないのである。
藤原奈緒