96年皐月賞馬イシノサンデー、芝千のレコード保持カルストンライトオ/24年追悼
2024年も名馬、ホースマンが天国へと旅立った。06年に皐月賞、ダービーの2冠を制したメイショウサムソン、ダートでJpn1を含むG1・9勝を挙げたヴァーミリアン、そして藤岡康太騎手は35歳という若さで旅立った。ファンの記憶にいつまでも残る名馬、ホースマンを悼むとともに、その栄光を振り返る(JRA、牧場、関係各所からの発表を受けて紙面で報じたG1馬などを中心に再編集しています)。 ■1月12日ファルブラヴ(牡26) 余生を過ごしていた社台スタリオンステーション(北海道安平町)で老衰のため亡くなった。00年9月にイタリアでデビュー。02年ジャパンCを制した後に社台ファームの吉田照哉代表が所有権を取得。03年には欧州と香港でG1を5勝し、カルティエ賞最優秀古馬に選出された。種牡馬としては重賞4勝馬アイムユアーズ、母父として桜花賞馬ハープスターを出した。 ■1月20日ロジック(セン21) けい養先のDEEP FIELD(福島県南相馬市)で亡くなった。現役時は栗東・橋口弘次郎厩舎に所属。武豊騎手を背に06年NHKマイルC(G1)を3番人気で制した。通算成績23戦3勝。重賞1勝。父アグネスタキオン、母エイプリルドラマ(母の父サクラユタカオー)。 ■2月7日カルストンライトオ(牡26) けい養先の(有)日西牧場(北海道日高町)で老衰のため亡くなった。重賞初Vとなった02年アイビスSDの勝ち時計53秒7は今でも芝1000メートルの日本レコード。04年スプリンターズSを逃げ切り、G1初制覇を飾った。通算36戦9勝。引退後は種牡馬となり、17年に産駒ブレイヴコールが兵庫ダービーを勝っている。 ■2月13日ビートブラック(セン17) けい養先のJRA馬事公苑宇都宮事業所(栃木県宇都宮市)で重度の骨折のため亡くなった。10年菊花賞では13番人気で3着に好走。12年天皇賞・春では、石橋脩騎手を背に14番人気で早め先頭から押し切り、JRA・G1初制覇を果たした。通算成績は34戦6勝。重賞1勝。父ミスキャスト、母アラームコール(母父ブライアンズタイム)。 ■3月4日サンテミリオン(牝17) 繁殖牝馬として供用されていた社台ファームで病気のため亡くなった。ゼンノロブロイの初年度産駒。フローラS制覇から臨んだ雨中の10年オークスでは、のちの3冠牝馬アパパネと大接戦の末、G1史上初の1着同着となった。通算成績18戦4勝。子どもには、父マインドユアビスケッツの当歳馬(牡)がいる。 ■3月29日リーチザクラウン(牡18) けい養先のアロースタッド(北海道新ひだか町)で肺水腫のため安楽死の処置が取られた。09年ダービーでロジユニヴァースの2着。同年きさらぎ賞、10年マイラーズCと重賞2勝を挙げた。通算26戦4勝。種牡馬としては、初年度産駒のキョウヘイが日刊スポーツ賞シンザン記念を制覇。クラウンプライドは22年UAEダービーを勝ち、23、24年コリアCを連覇している。 ■5月7日ノーリーズン(セン25) 福島県南相馬市の鹿頭ステーブルで亡くなった。02年皐月賞では15番人気の低評価を覆し、B・ドイル騎手を背に中団から差し切り勝ち。1番人気の菊花賞ではスタート直後に落馬するアクシデントもあった。通算成績12戦3勝、重賞1勝。種牡馬引退後は南相馬市の神事「相馬野馬追」に参加したほか、「ウマ娘 プリティーダービー」のキャラクターにも登場した。 ■6月25日ロジャーバローズ(牡8) 種牡馬として供用されていた北海道新ひだか町のアロースタッドで急死。疝痛(せんつう)症状が長く続いていた。19年ダービーでは浜中騎手とのコンビで2番手から抜け出して勝利。単勝93.1倍、12番人気の低評価を覆し、令和初の日本ダービー馬となった。引退後は種牡馬入りし、初年度産駒は昨年デビュー。今年5月まで種付けを続けており、5世代の産駒が残されることになる。 ■8月18日イシノサンデー(牡31) 老衰のため亡くなった。通算成績22戦6勝。四位騎手とのコンビで96年皐月賞を制し、ダートでも同年盛岡のダービーグランプリ(重賞)を勝利した。父サンデーサイレンス。引退後はJBBA(日本軽種馬協会)下総種馬場で種牡馬入りし、七戸、九州、静内のJBBA各種馬場で16年まで種牡馬として供用された。 ■9月1日ゼンノエルシド(牡27) 余生を過ごしていた村上欽哉牧場(北海道新冠町)で老衰のため亡くなった。99年に美浦・藤沢和雄厩舎からデビューし、01年京成杯AHで重賞初制覇。同年11月のマイルCSではペリエ騎手を背に勝利し、G1初タイトルを手にした。通算成績は18戦6勝。重賞2勝。父はカーリアン。