千々石ミゲル夫妻を埋葬 諫早「千々石清左衛門の墓」、市文化財に指定 発見から20年
安土桃山時代、長崎からヨーロッパに渡った天正遣欧使節の1人、千々石ミゲル夫妻が埋葬されている「千々石清左衛門の墓」(長崎県諫早市多良見町山川内)が市文化財(史跡)に指定された。14日、大久保潔重諫早市長が現地でミゲルの子孫、浅田昌彦さん(71)=神奈川県=に指定書を手渡した。墓石発見から20年。民間主体の発掘調査や報告書刊行を経て“市民の財産”として認められた。 千々石ミゲル(1569年ごろ~1633年)は1582年に訪欧。90年に帰国後、大村藩に仕え清左衛門と改名した。キリシタン禁制に転じた大村藩から追放され流転。4人の使節のうち唯一棄教(ききょう)したとされる。 その生涯は謎に包まれていたが、大村市の石造物研究者、大石一久さん(72)が2004年、ミゲルの四男玄蕃の名前が裏に刻まれた墓石を山川内の民有地で確認した。浅田さんや民間組織が14~21年、4回の発掘調査を実施し、女性の歯やキリシタン副葬品、男性の骨が見つかった。 諫早市文化財保護審議会は、11月20日付で「千々石清左衛門の墓」として市文化財への指定を市に答申。江戸時代初頭の禁教期における仏教形式の埋葬だったことから、洗礼名のミゲルでなく清左衛門の墓とした。一方、男女2人の戒名と玄蕃の名前が刻まれている点を踏まえ、被葬者は「千々石清左衛門(ミゲル)夫妻である可能性が高い」と指摘。県文化財候補への推薦を求める付帯意見を添えた。 浅田さんは「少年使節に関わる唯一の遺跡。ミゲルが生きた時代や思いを知ってもらう場所になってほしい」と感慨深げ。大久保市長は今後、県文化財推薦や観光活用を視野に「地域の歴史を発信し、市民に活用されることを望む」と話した。市によると市内の指定文化財は今回を含め91件(国6、県21、市64)。