ハロプロ黎明期支えたメロン記念日、解散は「みんな迷いなく」 濃密な10年と今も続く絆
「この日が来たね」解散が決まった瞬間を振り返る
――解散すると決まった時の当時の心境は。 柴田「偶然というか本当の話で『ここでピリオドを打とう』というタイミングが4人一緒だったんです。マネジャーさんやスタッフさんは、ロックバンドのコラボで新たな路線を考えてくださったところで本当に申し訳なかったのですが、メンバーはみんな迷いなく『この日が来たね』という思いでした」 斉藤「どちらかというと最後まで4人で全うしたという思いが強くて。同じメンバーで最初から最後まで走り続けることができたアイドルグループってハロー!プロジェクトの中ではいまだに私たちだけなので、すごくいいタイミングだったと思います」 村田「私たちの気持ちは、それぞれの未来に向かっていましたし、ファンの人たちとの思い出もたくさん作れたので『悔いなく全うした』という思いがありました」 ――あらためてメロン記念日の活動した約10年を振り返って。 村田「すごく濃厚な時間でしたね」 斉藤「個人個人をちゃんと尊重し合えるほど、仲が良かったっていうことに尽きると思います。きっと同じタイプだったら、ぶつかっていたと思います。4人とも違っていたから良かったんです」 柴田「デビューして4人横一列でスタートしたんですが、途中から明らかに私の歌のパートが多い楽曲が目立つようになりました。もしかしたらその時、3人にはいろいろな感情が生まれていたのかもしれません。でも、それを受け入れてくれた3人が、私の背中を優しく押してくれたんです。私は今でも胸を張って言いたいんですが、メロン記念日ほど絆の強いグループは、ほかにはないと思います」 村田「柴田は、センターとしてどんどん前に出て行き、メロン記念日を知ってもらおうと頑張ってくれたから新しいファンが増えました。斉藤は、セクシー担当で身なりは派手だったかもしれないけど(笑)、心はすごくピュアでリーダーとしてメンバーをまとめてくれました。大谷も、勢いがあって面白さもあって私たちにはない個性が魅力でした。口には出さないけど、みんな『4人じゃないとメロン記念日じゃない』という思いがあったから10年も続けられたんだと思います」 ――改めて、皆さんにとってメロン記念日とは。 斉藤「私の人生の一部、というか『私の一部』です」 村田「『人生の山』ですかね。解散した後、『メロン記念日を超えるくらいの第2の人生を送る』と思い15年挑戦してきましたけど、メロン記念日の人生には、なかなか勝てないです」 柴田「私にとっては『愛の塊』です。メロン記念日は私の全てで、ファンのみなさんの声援も頑張ったことも悲しかったことも全てが愛の塊でした。25周年はファンのみなさんとふたたび愛の交歓をしたいです」(=歓喜の交流) ――25周年企画で今後、ステージで歌を披露する可能性についてはいかがですか。 斉藤「今のところ未定です。それぞれの活動がある中で今回集まれたこと自体が奇跡なので。いつか歌える日がきたらいいなと思っています」 柴田「今は全然歌ってないから、その前にちゃんと歌の練習をしないと」 斉藤「キッチンで歌う鼻歌が本域になったらみんなビックリしそうだね」 柴田「たしかに(笑)」 村田「時々、1人カラオケで歌うことはあるよ。誰も見てないから、ライブをやっているくらい思い切りテンションを上げて歌うんだけど(笑)」 斉藤「アハハハ(笑)。本気で歌っている村田をちょっと見てみたい」 柴田「みんなでカラオケやる?」 □メロン記念日 1999年、「第2回モーニング娘。&平家みちよ妹分オーディション」で選ばれたメンバーによって結成されたハロー!プロジェクトのアイドルグループ。メンバーは斉藤瞳(リーダー)、村田めぐみ、大谷雅恵、柴田あゆみ。翌2000年2月、つんく♂プロデュースによる1stシングル『甘いあなたの味』でメジャーデビューすると4人の個性的なキャラクターとジャンルにとらわれないバラエティーに富んだ楽曲で人気となる。10年5月3日、約10年の活動にピリオドを打ち、中野サンプラザで開催したラストライブ「メロン記念日 FINAL STAGE 『MELON’S NOT DEAD』」をもって解散した。結成から解散まで一度もメンバーの変動がなかったこともファンから熱く支持される。2025年1月1日、25周年を記念した期間限定再結成を発表し、全曲サブスク解禁。2月23日にメロン記念日トークイベントを新宿ロフトプラスワンにて2回公演開催。解散日となる5月3日に「メンバーと観るメロン記念日解散ライブ『MELON’S NOT DEAD』爆音上映会」を開催する。今後の活動などの詳しくは公式Xにて。
福嶋剛