「小さな勇者」が流してきた涙 田中史朗選手が歩んだラグビー人生
ラグビー元日本代表のスクラムハーフ(SH)、田中史朗選手(39)=NECグリーンロケッツ東葛=が24日、今季限りでの現役引退を明らかにした。新時代を切り開いてきた「小さな勇者」のラグビー人生は「涙」とともにあった。 【写真まとめ】田中史朗選手 サモア戦から一夜明け 記者会見の壇上で「現役引退」を自らの言葉で口にする直前、田中選手は大きく息を吐いた。必死に駆け抜けた17年分の思いがこみ上げてきたのか冒頭から目に涙をため、何度も言葉を詰まらせた。 あの時も田中選手は泣いていた。2019年のワールドカップ(W杯)日本大会。初めて8強入りした日本代表は準々決勝で南アフリカと対戦。前半は肉薄したものの後半に引き離され、3―26で敗れた。 流した涙は悔しさだけではない。前向きな意味合いもあった。試合後の満員のスタンドからは健闘をたたえる称賛がいつまでもやまなかった。「ラグビーが日本の文化に根付く第一歩が今大会のベスト8。日本の進化を見せられた」。客席はチームと同じ赤と白のジャージー姿で埋め尽くされ、日本ラグビー界の明るい未来の兆しを実感した。 身長166センチ。ぶつかり合いが多いラグビー選手の中では小柄だが、正確で速いパスを武器に自らの地位を確立した。海外の屈強な選手にもひるまずに体を張る姿勢が印象的だった。 08年から日本代表のキャリアを重ね、初のW杯は11年ニュージーランド大会だった。しかし、1次リーグで1分け3敗と良いところなく敗退。「11年は僕たちがふがいなくて、日本ラグビー(の人気)を落としてしまった思いしかなくて……」。苦い思いが残った。 13年に他の日本選手に先駆けて南半球最高峰リーグ・スーパーラグビーに参戦したのは、「世界水準」を日本に持ち込むためだった。15年のW杯イングランド大会では、優勝候補の南アフリカから歴史的勝利を挙げるなど3勝した。ラグビー人気は上昇気流に乗るかに思われたが、直後に東京・秩父宮で行われたトップリーグ開幕戦は空席が目立った。一般販売枠を抑えすぎたとみられ、日本協会は「見込みが甘かった。選手がブームを作ってくれたのに反省している」と謝罪した。 それに反応したのが田中選手だった。「ラグビーが負けた日」。日本ラグビー界の発展のためなら率先して苦言を呈することもいとわなかった。 史上最高成績で歴史の扉をこじあけた19年のW杯日本大会から約1カ月半後。東京・丸の内で開催されたパレードには沿道に約5万人(主催者発表)が詰めかけた。大会期間中の声援への感謝の気持ちを表すつもりが、逆にファンから「ありがとう」の大合唱を浴びた。「ここからがスタート」。ラグビー人気の変化を肌で感じ、また泣いた。 涙もろい人情家。感情豊かにラグビーを愛し、魅力を発信し続けた。「昔、僕が(若手時代を)過ごしたころよりもラグビーは少しずつ文化になって、日本に根付いてきている。今はすごく満足しています」 写真撮影の途中、日本代表でともに日本ラグビーの歴史を作った松島幸太朗選手と松田力也選手がサプライズで登場した。「もう、(涙を)我慢しとったのに」。田中選手は笑顔を見せながらもそう言って顔を覆い、何度も涙を流した。【角田直哉】